タチレクに車で入國する方法:ミャンマーツーリング事始

タイの車でミャンマーのタチレクに入國し、チェントン(チャイントン)の温泉を経て、陸路では誰も行けないと言われていたタウンジまで行けるかどうか試してみた。

タウンジまで行ければ、ミャワディー・メーソット國境から出國するという計画で。

 

見事に成功した。

 

 

終わってみれば、タチレクの外に出ることさえできれば、あとは自由にどこにでもいけるという結論になる。

泰緬國境の車越境手順

  1. 事前準備として、車のパスポートをタイの陸運局で取っておく。所要2日(翌日出来、1週間後に取りに行っても良い)。95バーツ。
    実際には、この紫色の冊子は一度も必要とされなかった。(ラオスのみ必要)
    Vehicle Registration Certificate は2回ほど提示した。
    日本で発行されるのはこれだけ。だからこの証書一枚で世界中を走れるはず。
  2. メーサイのイミグレーションオフィスでリエントリーパーミット(再入國許可)を取得する。(所要時間10分)これは退職ビザ保有者などの場合。

    イミグレでは12時前10分に着いて急ぎの10分で取れた。マルチプルで3800฿

  3. 出國する本人の出國スタンプを押してもらう。
  4. 車の一時輸出手続き。職員の指示に従う。パスポートのコピー、車検証(タビアンロット)のコピーはすぐ近くでできる。

    自分で記入したのはサインだけ

  5. 車の持ち出し期間は、初期設定で7日のみとなっているので、最大期間の30日にしてもらう。
    初回の持ち出しは7日間と決まっているらしい。が、メーソットから再入國するから時間が必要であることを述べると本部係官に回されて30日許可されることになった。とりあえず、ミャンマー滞在期間は30日だからよしとする。
    タイの30日の数え方は当日を含み、ミャンマーの30日は当日を含まないので車を一日早く持ち出さないといけない。
    遅れると1日あたり1000฿の罰金という。最高10000฿まで。10日以上遅れるなら、1年遅れても同じ罰金10000฿。(追記: これは実は、一時輸入車の場合のルールで、一時輸出車に対して持ち出し期間を11ヶ月以内に制限できる明文の規則はないことが判明した。だから、30日に制限するのは職権濫用。)

    これもサインだけ。評価額が30万バーツも高くなっている。次回はクレームすべき。持ち出し期限が最大30日間となっている。

  6. タイ側での出費はコピー代(1฿/枚)のみだった。書類は全部作成してくれる。自分で記入する部分はわずか。
  7. ミャンマー側に車で移動する。橋を渡る真ん中で右側通行に移行する。
  8. 運転手の入國スタンプを押してもらう。
  9. 車でさらにゆっくり進むと100฿払えと言われる。理由を尋ねると保険料とのこと。5000チャット払ったが฿で払った方が得だった。
    知らずに高速走行していれば、払わずに通り抜けられそう。保険証を求められたことは一度もなかった。

    保険代100฿。期間は1週間になっている。期間については何も聞かれていない。

     

  10. 次に通行料かなにかの料金1000チャット要求される。領収書付き。ここも高速走行で行けば払わずに済みそうなところ。

    通行料1000チャット

     

  11. 車の書類作成は特になし。ナンバーを取り替えるとか、Tマークのステッカーを車に貼るようなことは一切要求されない。

合計130฿ぐらいで車をミャンマーに持ち込むことができた。

バイクなら100฿ぐらいか。

タチレクを脱出する方法

外國人にとって、タチレクを出てミャンマー内陸部に入ることは不可能に近かった。

タチレクを出る道路は主に2本ある。

一つはチェントン、タウンジへの道路。川の下流方面。

もう一つは川の上流方面。

 

 

上流方面の食事処で昼食をとった後に、上流検問口を突破できるか試してみたら見事に失敗した。

タチレクを出たければ國境の観光局事務所で許可をもらってこいと言われて、その許可証のサンプルを見せてもらった。

ベトナム人が2人そこを通過したらしい。

タチレクを出る時に必要な許可証。ベトナム人2人のサンプル

 

イミグレ発行の書類である。

それでイミグレにその許可証をもらいに行くと、まず観光局に行って許可をもらってこいといわれる。そしたらイミグレで許可証を発行すると。

それで道路向かいの小さな観光局事務所に行くと、バスのチケットを買えば、その運転手が許可証を申請しに来ると。バスのチケットは200฿ぐらいと。

外國人本人が直接申請することはできないと。

タイの自家用車ではタチレクを出ることはできないと。

 

だから、バスに乗らなくてもバスのチケットを買えばその許可証ができるのかもしれないが、その許可証文書はバスの運転手が携行して検問所で渡すことになるのだろう。

とすれば自家用車で自走して独自に許可証を提示することはできない、ということになるかもしれない。

これはやってみないとわからない。

 

観光局の職員の口調からすると、ミャンマー人のガイドを付けるか、バスで行くかのどちらかしか不可能と読めた。

彼らの利権を失いたくないのだろう。

それ以上の議論は控えて退却し、ミャンマー通貨に両替しながら対策を考える。

わざわざ車で入國してきてこのまま引き下がり難い。

 

おそらく、チェントン温泉へのメイン街道の検問所では止められる可能性が高いと見て、地図上で他のルートはないかと探すといくつかあった。

タチレクから カジノのある Regina Hotel へ行く道の延長でそのまま北上するルートがモンピヤック Monghpyak မိုင်းဖြတ် につながっている。

 

 

翌日早朝からその道に入るとずっと舗装なしの土の道。

雨も降り出して泥々になってきた。

チャチな上下式の通栓棒、遮断棒は半開きしているのでわざわざ止まらなくても車は通過できる。

朝早い時間、夜間ならまず難なく通過できるだろう。

昼間はどうかわからない。

雨が降るとこうなる

 

12月29日の6時40分頃には最初の遮断棒を通過。無人だった。

 

最初の遮断棒の位置はここ:

 

このあと、モンピヤックまでは、何箇所か同じような遮断棒のある箇所があったが、どれも完全に遮断されてないから、走り抜けることができた。まったく厳格ではない。

そんなとこまでタイの車で来るようなことはないのだろう。

 

チェントン Keng Tung ကျိုင်းတုံ (チャントン、チャイントン)の街を抜けた後、温泉に行く分岐のところで橋を渡らねばならぬ。

その橋のところで警察が検問していた。

そこは常設の検問所のようだ。

雰囲気からすると、交通違反の取締にかこつけて金をせびりたい警察官の稼ぎ場所のようであった。

ミャンマーの白服警官に止められて、免許証を見せる。

英文の車の登録証を見せる。

それで特に手こずることなく通過できた。

変なナンバーを付けたタイの車を遮断しよう、という意図は微塵も感じられなかった。

 

最初のちょっと本気な検問所はここ:

 

ここも夜間早朝には通過しやすいのではないか。警察は寝ているだろうから。

仮にこの検問所を回避したいとすれば、温泉に反対側から接近する道がある。が、その道は温泉近くで少なくとも1つの橋のない川を通過しないといけない。オートバイも人も普通に走り抜けることのできる様子であった。雨季にはどの程度水深が深くなるのかは不明。雨の日には泥道は覚悟せねばならぬ。

 

その川はここ:

 

この後は、シャン州を無事に出ることができるかどうかが問題だったが、今回、タウンジに素直に突入することはやめて、Loilem လွိုင်လင် から北に進路をとった。

インレーレイク、タウンジには4年前に一度来ていたからでもあった。

それで北上したら、シポウ Hsipaw 、ラシオ Lashio の温泉巡りができた。Mogok のルビー鉱山めぐりもできた。

北上を始めた時には、最初から温泉やルビー鉱山があることを知っていたわけではなかった。

走っている途中で、それらの情報を得ることができた。

結果的には温泉多数にルビー鉱山の有意義なルートとなった。

タチレク ⇔ タウンジルートは山道くねくね

クネクネの山岳道路が多いのでスピードは出せない。

舗装の道幅が狭い。

1.5車線で対向車が来ると、片足を舗装外に落とさないといけない。

舗装外に降りたり上ったりを繰り返す。

苦行街道である。

 

外國人はタチレクからインレイ湖のあるタウンジまでは陸路では行けないという情報もある。

タチレクから飛行機で1万円ぐらいで飛ぶしかない。

陸路で行くのはどうかというと、その気になればいけないことはないだろう。

ヒッチハイクもできるだろう。

関所があれば迂回するか、夜間早朝突破を試みればよい。

ローカルなバス、ミニバスも拾うことができるだろう。

それで何時間、何日かかるかわからないが、タウンジまで行けるだろう。

 

仮にバス、ミニバンでタウンジまで行くとしたら山道に揺られっぱなしになる。

酔いやすい。

 

自分で運転していると、苦行としか言えない。

楽をしたい外國人、時間のない人なら、100ドル払って飛ぶほうを選ぶであろう。

車中泊、キャンプが最強のミャンマー

タウンジ街道では外國人が泊まれるホテルはチェントン以外にはないかもしれない。

 

途中でどこに泊まるのかが問題になる。

ノンストップでタウンジまで行くのか。

ホテルに泊まれば許可証が必要になるかもしれない。

このように、かなり高く付くかもしれない。

 

 

今回はホテルには全く泊まらなかった。

車中泊のみで済んだ。

ホンダ フィットのタイ版、Jazz でよかった。

後部座席が平らのままでいつでもベッド状態だから、昼寝したい時にも、運転席を前にずらせばすぐに全身を完全に伸ばせる状態で横になれる。

全天候型の車旅のメリットは、いつでもどこでも車を停めることさえできれば寝れるということ。

動くホテル。

1日のガソリン代と宿泊費の合計をバイク旅と比べれば、野宿しないバイク旅よりも、野宿する車旅の方が安くつくだろう。1日の走行距離にもよるが。

1日100kmも走らない日の方が多い。

 

30日間で3800kmぐらい走った。

ネピドウ郊外で検問10000チャット?

ネピドウの郊外60kmのところに温泉があったので、幹線道路から山道に入るところで白服警官の検問で止められた。

タイの免許証を出すと、何やらケチをつけている。

國際運転免許証が必要だとか言っている。

ASEANの國ではタイの免許証が有効である、と主張しても納得しない。

 

1万チャットを要求してくるが、500チャットならあげるよという態度を崩さないでいると、5000チャットになったが、それでもこちらは笑顔で妥協しなかった。

こちらに非は全く無かったのだから。

タイの車は走行禁止という主張はなかった。

10分ぐらい費やして通過できた。

 

温泉で一泊して、また同じ道を戻ってくる時にはその検問所の手前で10km程ガタガタ道を迂回して南北幹線道路に戻った。

こんな悪徳検問所にひっかかったのはここだけだった。

 

Mogok 街道のシャン州を出たところの橋で検問があったが、この時はどこに行くかということを聞かれた後は荷物検査などなくてニコニコ通過。

 

軍の荷物検査ありの検問は モンクン Mong Kung 南北口のこの2回だけだった。

 

 

検問賄賂相場は5000~1万チャットと読めた。

どこかで引っかかったらこの金額で開放されるのではないか。

両替所はここ

タチレクを去る前にミャンマー通過のチャットを入手しておかねばならぬ。

最初は3万バーツぐらい一度に両替しようかと思っていたが、タチレクを出れずにタイに戻る可能性もあるので1万バーツだけにしておいた。

メーサイの両替所では、1000฿=45455(スーパリッチ)、46728(SINPHAT)、

タチレク側の橋近くの両替所でも46728が最高だったが、最後に47000で交渉したら応じてくれた。

1万バーツ=47万チャット。

 

30日でタイに戻った時には 336300K=7250バーツ=25000円 使っていた。

この建物の左側に小さな両替ブースがある。その男も交渉に応じてくれる:

 

タチレク→ミャワディ30日ルート

ルートはこうなった。

タチレク~Monghpyak 間の実際に走った泥道はGoogle Map に登録されていないのでラインを描けなかった。

航空写真を見れば綺麗に道筋が見える。

Google map の航空写真がなかったらこのルートは発見できなかったかもしれない。

Maps.me にはこの道路も載っている。

 

 

30日では足りない

ルビーのモゴックの後は、ミッチーナ方面に行きたかったのだが、30日の時間切れが迫ってきたのであきらめてバガン方面に向かった。

もしも車を30日以内に持ち出す必要がなければ、車は置いておいて、人だけビザランでタイの國境までバスで往復してくることも可能であったのだが。

今回は、ミャワディールートも初めてだったから、とにかく走り抜けた。

 

次回はミッチーナ方面、

ヒンド・インパール國境方面、

ミャンマー最南端方面、

と行ってみたい。

 

3ヶ月は欲しい。

 

     

     

    • 2680年5月21日

      家の佛壇

      両親の家の佛壇。 ミャンマーの佛教祭壇はあまりにもけばけばしかった。 クリスマスツリーのようなイルミネーションでピカピカと飾られていた。
    • モンパウン Mong Pawn မိုင်းပွန် を過ぎてナムサン へ山越え。霧雲の上に出る。 雲上のパゴダが見える。11月21日は祝日。National Day というが、由縁は不明。 Loilemから走っていると、Namsang ナムサンの手前で検問があった。 警察の制服を着ていた者8人ぐらい。 車内の荷物検査が荒っぽい。 見せたのはパスポートのみ。 10分ぐらい停車。 どこに行くのか、タチレクへ。 問答はこれぐらい。 タイナンバーの車とか、全く問題にならない。 有効的な雰囲気で通過。 遮断棒とかない場所で、臨時の検問場所のようだった。 祝日だからか モンナイに近づくと、3kmぐらい手前右手に古めかしい佛塔群が見えたので歩く...
    • カクパゴダ(カックー遺跡)からインレー湖へ山越えルートをとる。 10km短くなるが時間はずっとかかった。 対向車は全くなし。 気楽に走れる。 峠を超えて下り始めて休憩で少し歩くと花があった。 さらに細い山道をくだっていると、車の底のカバーが外れて擦り始めた。 舗装道路に出るまで9kmぐらいそのままうるさく走る。 Nampan に車修理屋を見つけてすぐに直った。 1000k を渡す。 市場とボート乗り場のある方に進む。 Nampan 市場は5日ごとに開かれているらしい。次は2日後の金曜日。 英語のボートガイドがいる。この日は既に風邪気味だった。 印度にもあった、ストロングのダゴンビールを飲んで休息。風邪が吹き飛んでくれるかと思ったが、喉の異常は悪化していった。 ...
    • インレー湖に近づいた所で風邪の気配。 11月14日から8日ぶりのPC作業に戻った。 写真のPCコピー等。 今回の風邪は軽症で済ますことができたがフルコースをたどった。 喉の痛み→鼻水→咳 風邪で一番つらいのは、咳がとまらなくなること。 それを避けるために、休息時間を多く取った。 咳はまだ完全に直っていないが、時折痰咳が出る程度。 咳の期間は最短で、咳き込むような状態にはほとんどならなかった。風邪をひいた原因は、夜間の冷えだろう。 2枚重ねにできる寝袋があるのに、薄着のまま寝て寒さを感じていた。 注意不足。 旅中には風邪をひかないように注意しすぎることはない。 大事をとって、活動がかなり鈍った。 こじらせずにすんだのは幸い。ミャンマーのシャン州は全体的に標高が高...
    • 2679年11月13日

      カクパゴダは墓地?

      インレー湖に突入する前に、タウンジの南方50kmの所にある、カク・パゴダ Kakku Pagodas に行く。 ここも小さな尖塔が林立する。 2000本以上あるらしいが、こういう形態の佛教建造物は多数という意味で、千本佛塔、千本パゴダと呼ぶべし。 Mahar Myat Mu Ni のように黄金ペンキで彩られていない。長銃を抱えた軍服人が何人もいて監視している。 夕方と翌早朝に歩いたのだが、風が吹けば鳴るという風鈴の音は一度も聞こえなかった。 周囲は巨木に囲まれていて、風は吹きにくいのではないか。 昼間なら風が強くなるかもしれない。周囲は巨木がよい木陰をつくっているが。 このカックーパゴダをカックー遺跡と日...
    • Mwe Taw Kakku Pagodas Complex への近道の分岐の所にマハーミャムニ Mahar Myat Mu Ni という、きらびやかなパゴダが林立するのが見えるところがあった。 大木の木陰に車を停める。 Kakku Pagodas に行くならここにも寄るべきだが、 ツアーはタウンジからではなく、インレー湖から来るのだとすれば、通り道から外れているから、Mahar Myat Mu Ni には寄ってくれないかもしれない。 バイクを借りて自力で来ればよい。こちらは来訪者も少なく、ゴミの散乱も少ない。
    • 2679年11月13日

      タウンジの人気食屋は如何

      タウンジ北部の市場を出て車を走らせていると、混雑したレストランを発見して寄ってみた。 肉まん、麺類、お好み焼きなどメニューがいろいろある。 男の店員は注文を大声で叫ぶ。 威勢がよい店。お好み焼きに唐辛子を掬って振りかけたら、小さな虫がうごめいた。 肉まんを追加注文したら、中身が冷たかった。 それで、良い店とは思えない。 混みすぎて乱雑な感じ。 隣には酒バーがあった。たうんじでカウイー、どぶろくがないか2回尋ねたのだが、誰も知らなかった。タウンジを去る前に昨日のショッピングセンターに寄ってサンダルを買っておいた。 タウンジにはまた平日に来たい。 50km南のMwe Taw Kakku Pagodas Complex に向かう。
    • 2679年11月13日

      タウンジ北市場の朝

      タウンジ Taunggyi တောင်ကြီးမြို့ の北部にも大きな市場があった。 今日、火曜日も連休の最終日になっているようだ。 そのためなのか、市場の内部は閉まっている店も多く見えた。

    ミャンマー カテゴリ人気記事 Views most

    タグ関連記事

    閲覧履歴