ノンケウ Nong Kheawを通過する。 5年前の8月11日にここに来たのでなつかしく一服する。 3月の乾季で乾燥、空気は煙濁っている。 ビールは12000K、 ヌードルは15000で外人割増価格のところが多い。 船乗場のところではビール1万Kだった。 5年前は、ベトナムのディエンビエンフーからムアンクアに入り、そこからボートでノンケオまで来ている。 途中、小さな村に2泊ぐらいした。 外人客が多い。 前回の雨季にはこの山に汗だくになって登った。 その時の見晴らし。下がノンケウの街。登山口は1.5kmぐらい離れたところから。 もうすこし離れるたところにある、洞窟にも行った。 今回は素通りした。ノンケウを離れてしばらく走ると子店があり、何かを茹で...
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- 2679年3月15日空気の濁りが気になる。 遠くの空が霞んでいる。 ベトナムでは雲で覆われていたが、ラオスは煙で覆われている。 黒い山焼きの跡があった。 時には遠くから煙があがる風景にも出会う。 Ban Sakok の橋を渡るところで子供たちが川ではしゃいでいた。 ここで昼飯休憩。 丁度ご飯が炊けていた。 店があってビアラオは凍りつくほど冷えていた。 散策後は、汗を流しに川に入る。洗濯も。 水は冷たい。身体が冷える。 底は浅い。 久しぶりの川浴は気持ちいい。 ラオスで残念なのは、このようにハイキング道がここから始まるという案内板がありながら、実際のトレイル入り口がどこなのかわからないこと。 ガイド付きでないと行けないようにしているのだろう。 このナムエ プ...
- 2679年3月15日ムアンヒアムMeuang Hiam =ヒアム村にある温泉には朝8時40分に着いた。 ナムエ プーロイ自然保護区のビジターセンターNam Et - Phou Louey National Protected Area Headquarters & Visitor Center のすぐ近くにある。 幹線道路から2kmぐらい離れている。入園料はラオス人5000K, 外人1万Kの差別価格。ここには全身入浴できるプールはなかった。 楕円の浴槽は空っぽだった。 温泉池は近寄り難く、入湯困難だった。 いくつものパイプから湯が出ているところがあり、シャワーのように利用することができるだけであった。 源泉は100℃近い。 シャワー湯の温度は4...
- 2679年3月14日またアスファルト垂れ流し工事現場に遭遇した。 今度は完全封鎖で通行止め30分。 その間に炊き終わったご飯を食べるのも悪くない。 液状のアスファルトを踏むとタイヤから車体の塗料に飛び散ってこびりつくので注意。 飛び散らないようにゆっくり走る。 アスファルト垂れ流し特殊車両は日本製だった。 道路の端が崩れていて危険な箇所がいくつもある。 一つ間違えば谷底に転落する。Nam Nern Night Safari の起点の橋のところで休憩。 Nam Nern Night Safari の起点はここ:ゲストハウスがあって、そこで情報入手
- 2679年3月14日サムヌアまで80km、来た道を戻る。 太陽が眩しい。 ベトナムではずっと太陽がでなかった。ビエンサイの市場に寄って両替しようかと思ったら銀行よりレートが悪かったのでやめた。 タイバーツの両替はBCEL銀行で またラオスの現金が足りなくなったのでタイバーツを両替する。 最初にJDB銀行にレートを聞いたら、隣のBCELのホームページの掲載レートよりも悪かったのでBCELで両替する。 10分ぐらいで簡単に終わる。 カジノもあり 緬英戦争墓地.htmlミャンマーのベルナルド市場で見たサイコロ転がしカジノは3個いっぺんに落とすが、ラオスのサムヌアでは一個ずつ落としていた。 絵の数も多い。虎の代わりにカニ、カエルがある。...
- 2679年3月14日ベトナム滞在2週間を終え、國境に戻ると車は無事だったが、日陰にしたくて木の下に置いていたために葉っぱなどの木の屑がたくさん溜まっていた。鳥の糞も混じっているだろう。雨も何度か降ったに違いない。 ワイパーでフロントガラスは部分的にはきれいになったので走れないことはない。 ラオス側に入って走っていると車を見て笑う人もいる。 長期間木の下に置いていると、葉っぱや鳥の糞の化学成分で車の塗料が変質する。 ガソリンもギリギリだったので15km先の初給油所で給油し、その前で洗車もしてもらった。 2万キープで外側のみ。 圧力噴射水器はあったがスポンジはなく、タオルで撫でるだけ。 終わってみると、天井の汚れは見逃されていた。 自分のスポンジでこびりついているところなども落とす。 タイの洗車サー...
- 2週間前にバスでラオス國境ナメオNa Mèo からタンホア Thanh Hoá 終点 まで来た時には乗務員車検は30万ドンと言い、しばらく考え込んだ挙げ句、男の様子から信用できそだったのでラオスキープで同額払ってしまった。 誰も本当の値段を言わないベトナム タンホアのバスターミナル終点に着いてから、窓口でナメオまでの運賃を尋ねると、25万ドンと紙に書いてくれた。 その紙を乗ってきたバスの車検男に見せると、値上がりしたのだ!と言い張って顔を赤らめて逃げていく。バスも外に移動した。
- 2679年2月27日ベトナムをバスが走り始めて、驚いたことは田んぼが緑麗しく、稲が伸びていること。 ラオスでは田んぼはどこもカラカラで、日本の冬の田んぼのようであった。 それがベトナムに入るととたんに緑だからびっくりする。 山間から平野部まで200kmの間、緑でない田んぼは見なかった。 2月末である。 日本なら耕作放棄地だらけで夏場でも稲のない田んぼも多いが、ベトナムでは万遍無駄なく耕作されている。 8000万の人口を養うためには田んぼを休ませてはいられないのだろう。タンホア Thanh Hoáに近づいた平野部の田んぼでは、農薬らしきスプレーしている農婦を見かけた。 ずっと曇りがちな天気だった。
- 2679年2月27日ナメオ Na Mèo ~タンホア Thanh Hoá 間のバス運賃は25万ドンであるが、30万ドン取られてしまった。 たった200kmなのに、30万ドン=400฿もするのは高すぎるのだが。 25万ドンでも340バーツ。 差額60バーツだが取られすぎた。追記: と思ったら、ローカルベトナム人運賃は実は15万だった、ということは復路同じバスに乗った時に判明した。倍額請求がベトナムの外人ボッタクリ相場になっているようだ。ベトナムド...
- 2679年2月27日ラオス・ベトナム國境、Ban Na Mang ⇔ Na Mèo はバイクに乗ったファランがよく走っている。 ラオス側についた時は13:20分ごろで、アメリカ人とポーランド人のバイカーがいた。 ベトナムのハノイで英語の教師をやっている。 ラオスで故障したポーランド人のバイクのパーツを届けにわざわざアメリカ人の友が届けにきたという。ラオス側では人の出國スタンプが押され、オーバータイムチャージはかからなかった。 13:30までしっかり閉まっていた。 閑散とした國境で人の通行も少ない。 時折ミニバスの乗客がくるくらいだから昼休みは完全に閉めているようだ。車の手続きは特になし。 紫の車パスポートにも出國スタンプは押されなかった。 しつこく頼めば押してくれる...
- 2679年2月25日サムヌアからベトナムの國境Ban Na Mangまでは約80kmだが、途中30kmのところにビエンサイ Viengxay という街があり、そこに洞窟が無数にある。第二次インドシナ戦争、ラオス・アメリカ戦争時にアメリカ軍の空爆を逃れるために、 パテート・ラオ Pathet Lao ປະເທດລາວ 共産主義グループが避難生活をしていた。 パテート・ラオとは文字通りではラオ族の國、タイ語でプラテー・タイというのと同じ。 ラオ國、タイ國のようなもの。 当時はまだアメリカにバックアップされた南部のラオ王國政府と、北部のベトナム共産軍にバックアップされたパテート・ラオ共産軍が戦っていた。 1964年~1973年ぐらいの間にここの洞窟群が使われているたようだ。 アメリカ軍の...
- 2679年2月25日ナムアン温泉を脱出した後、村を離れて上り道に入って登りきったところあたりに広い空き地があって車を休めた。 翌朝日が昇って、振り返ると雲海が広がっていた。 サムヌア Sam Nuea の街まで15km。ベトナム國境まで約80km。 ラオスよりベトナムの方がガソリンは安いので最小限の給油にしておく。 たけのこ売りが多い。 サムヌアの雲海ポイントはここ:
- 2679年2月25日ナムアン温泉 Na Meuang hot springs はサムヌアの南18kmの山村にある。 見事な田園の中にある。 駐車場からあぜ道を歩いて200mぐらい離れている。 管理人の男が常駐していて金を徴収している。 丸型プールが5000キープ。 個室のバスタブが2000K。 朝8時から5時まで。 丸プールのお湯は41℃くらい。 苔が浮いている。 午後2時40分頃に着いたら誰も居なかった。 誰も居ないから湯は澄んでいてきれいであった。ラオスの温泉はどこもそうだが有刺鉄線で囲われている。 地元民が湯浴みに来るということも拒絶されているかに見える。 午後5時に閉まるというので、2km下の集落で食事した後、6時頃に来てみたら管理人らしき男がバイクで追いかけてきた。 地元民がたくさん湯...
- 2679年2月24日ヒンタン遺跡 Hintang Archaeological Park、立石 Standing Stone への案内板があったので寄ってみる。 土道の往復10kmの寄り道。 石に文字などは刻まれていないようだ。 これは何だと言えば墓だろう。 このような場所がこの辺に何箇所があるらしい。 歩いて行かねばならぬが日差しがきつい時間なので長時間歩く気がしない。朝ならもっと歩いただろう。幹線道路に戻って走ると今度は滝があった。 ヒンタン立石遺跡はここ: Saleuy サレイ滝はここ:
- 2679年2月24日ラオスのバナナは3回ぐらい買ったがどれもまずかった。 タイの短いバナナと同じ品種を選ぶのだが、まずい。 水気が逃げて干からびている感じか。 白い粉、農薬か、がついているのもある。 一本味見してまずかったら買わないということができればよいのだが。 みかんには黒斑がついていて汚く見える。 どういう理由で黒斑が付いているのかは知らないが買う気がしない。 タイのように味見しろ、と言ってくる店はないようだ。 みかんはおそらくタイから輸入されているのだと思うが、どれもいつでも黒斑だらけで買う気がしない。 タイで売り物にならないようなものが回されていくるのかもしれない。