庭の山柿が色づいてきて、そろそろ収穫しないと甘くなって鳥か猿に獲られてしまいそうな季節になった。
渋柿だが、放っておけば最後には熟して甘くなる。
もう収穫して、常温で放置しておけば甘くなる。
裏山にも柿の木があって、3日前に登ってみたら尾根に2本の柿の木に実がたくさん着いていた。
手の届かない高いところに成っているので、今朝は全長3mの高枝鋏を携帯していったがそれでもとどかない。
獣道を横旋回歩いていくと、日当たりの良いところに柿の木が6本ぐらい連なっているところがあった。それも背が高くてひょろ長くてとても届かない。
戻って全長5.4mの高枝鋏をアマゾンで注文したが届くのは支那から2週間はかかりそう。これ以上長い高枝切鋏は見つからなかった。2㎏あって重いという評価があるがしかたない。
午後3時すぎからは林道先のムベの実の取り込みに。
久しぶりにここまで来てみるとムベの大群があった。
近くで放置されていた簡易ハシゴを発見して大接近できた。。
山のフルーツ。
むべの狩り時は10月末と覚えておこう。
アケビとは違い、独特の甘みがある。
アケビは熟すと実が開くが、ムベは紫い色に色づくだけで開かない。
開かないが鳥はつついて食べているのもある。
不老長寿の実だそうな。
不老長寿伝説~天智天皇のむべなるかな~
蒲生野に狩りに出かけた天智天皇がこの地で、8人の子供を持つ大変元気で健康的な老夫婦に出会いました。
天智天皇がこの老夫婦に、「汝ら如何に斯く長寿ぞ」と長寿の秘訣を尋ねたところ、老夫婦は、「この地で取れる無病長寿の霊果を毎年秋に食します」と言いながら、ひとつの果実を差し出しました。それならば食べてみようと天智天皇もその果物を一口食べました。すると、「むべなるかな(もっともであるな)」と一言天皇はおっしゃったのです。
この時に発した「むべ」という言葉がそのまま果物の名前の由来となりました。
そして、これより朝廷に毎年献上することになったのです。10世紀の法典集「延喜式」31巻には、諸国からの供え物を紹介した「宮内省諸国例貢御贄(れいくみにえ)」の段に、近江の国から「ムベ」がフナ、マスなど、琵琶湖の魚と一緒に朝廷へ献上されていたという記録が残っています。
以後、北津田町は朝廷や幕府からの賦役の免除、献上の道中に帯刀するなどの恩典を受けました。献上は1982年まで続きました。また天智天皇を祭神とする大津市の近江神宮へも1940年の創祀(そうし)以来、毎年献納を続けています。