Pai に日本軍が作ったという橋がある。 カンチャナブリのメクロン河永久橋についても書いたので、このPai の橋についても客観的な写真資料を採取しておく。泰緬鉄道メクロン河永久橋とJEATH戦争博物館カンチャナブリの町の北側に鉄道の橋がある。日本軍が建設した時には川の名はメクロン川であり、橋はメクロン河永久橋と呼ばれていた。戦後1957年にフランス人の原作の The Bridge on The River Kwai というフィクション映画が流行り、クエイ川と改称されてしまった。日本軍が建てた慰霊塔町の中心部から川沿いの道を歩いていくと、橋の手前にまずあるのが、慰霊碑。これは大東亜戦争の戦闘状態終結前の1944年2月に日本軍鉄道隊によって建てられたもの。...
マッカーサーがトルーマンに解任されて、1951年4月19日に上下院合同会議で演説した。 その後、質疑応答があった。They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.日本は資源の供給が絶たれ、1000万~1200万の失業者が発生することを恐れた。それゆえに、日本の戦争の目的は、ほとんどが安全保障上の必要に迫られたものであった。 ...
カンチャナブリの駅前に、広大な戦争墓地 Kanchanaburi War Cemetery がある。 イギリス、イギリス帝國オーストラリア、オランダ、イギリス帝國ヒンド系の戦没者の墓石が整然と並べられている。 門には Kanchanaburi War Cemetery と書いてあるが、中立ではなく、同じ戦争で死んだ日本人の墓はひとつもない。 その隣に見えるのが Death Railway Museum と大書した博物館。 見ただけで英米人の日本攻撃宣伝施設だということは想像がつく。 実際にはイギリス帝國オーストラリア人の設立らしい。 料金所前の売店エリアにある Japan Invade Asia という展示を見ただけで、イギリス史観のプ...