「免田栄 獄中ノート―私の見送った死刑囚たち」 2004/8/1 を読んだ。 1948年(昭和23年)12月30日に熊本県人吉市で祈祷師夫婦(76歳男性・52歳女性)が殺害され、夫婦の娘2人(14歳と12歳)が重傷を負わされ、現金が盗まれたという事件で、翌1949年1月13日に熊本県球磨郡免田町(現・あさぎり町)在住の男性・免田 栄が逮捕された。 凄惨な拷問を受けて自白を強要された。 免田栄は12月29日の夜には、人吉駅前の宿屋の女の部屋に宿泊していてアリバイがあったが、その女は、宿泊したのは12月30日の夜と偽証したことなどから、死刑判決が出た。(1950年(昭和25年)3月23日) 弁護士は金目当てで、検察側と協働し被告人に不利な弁護活動をしている。戦時教育...
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- 両親の家の佛壇。 ミャンマーの佛教祭壇はあまりにもけばけばしかった。 クリスマスツリーのようなイルミネーションでピカピカと飾られていた。
- インレー湖に突入する前に、タウンジの南方50kmの所にある、カク・パゴダ Kakku Pagodas に行く。 ここも小さな尖塔が林立する。 2000本以上あるらしいが、こういう形態の佛教建造物は多数という意味で、千本佛塔、千本パゴダと呼ぶべし。 Mahar Myat Mu Ni のように黄金ペンキで彩られていない。長銃を抱えた軍服人が何人もいて監視している。 夕方と翌早朝に歩いたのだが、風が吹けば鳴るという風鈴の音は一度も聞こえなかった。 周囲は巨木に囲まれていて、風は吹きにくいのではないか。 昼間なら風が強くなるかもしれない。周囲は巨木がよい木陰をつくっているが。 このカックーパゴダをカックー遺跡と日...
- 2679年3月4日ナムディンはポルトガル人から切支丹教を伝道された地域らしく、古めかしく歴史を感じさせるカトリック教会堂も多い。よく見かける。1533年、丁度日本に切支丹ザビエルがやってきた頃。 その後のフランス植民地時代にはフラン式カトリック教会が多数建てられたのだろう。フランスは去ったが、カトリック切支丹の心は残った。 現在ベトナムには900万人ぐらいの切支丹がいて、アジアではフィリピン、朝鮮につぐ多さとなっている。 南ベトナム時代の大統領はカトリック切支丹で、佛教を弾圧して、佛教旗を揚げることを禁止したそうな。1963年には射殺する事件も起きている。 南ベトナム政府が滅ぶべき運命にあったのはそのせいだろう。 90%以上の佛教徒國民を敵に回す南ベ...
- 2679年2月11日ラジギール最終日は竹林精舎を散策した後、ジャイナ教の丘にあがり、Bimbisar Jail という王が幽閉されていたところまで歩く。 この山歩道の延長で霊鷲山まで行けるのではないか。 早朝から歩き始めれば霊鷲山まで一日ハイキングになる。
- 2679年2月11日ラジギールから15km のところにナランダ遺跡があり、ユネスコ の世界遺産に登録されている。 ナランダ遺跡とは侵入してきたイスラム教徒によって破壊された古代佛教大学の遺跡である。 687年~1853年(切支丹暦427年~1193年)破壊。ラジギールから15km、ローカルバスを拾って行ける。近くにブラック佛陀、その近くの村の中に太陽寺院もある。ナランダ遺跡はここ: 太陽寺院はここ:
- 2679年2月11日ラジギールRajgirの温泉は汚すぎて混雑すぎて入る気がしなかった。 温泉は主に3箇所にわかれている。 イスラム教モスクにある温泉は、そこに泊まる資格のあるイスラム教徒以外は入れない雰囲気なので遠慮した。 宿はその近くに決めたのだが。 メインの丘の温泉の門前付近にある温泉はドツボ式で汚れがたまり放題。 ここのお湯は丘の上の温泉からパイプで引いてるのかも。メインの温泉は丘の上にある。 人が多すぎて汚い。その下流のプールこれは隣接した公園内。冷水のよう。 イスラム教区はここ:
- 2679年2月11日釈迦が好んで説法した場所という、ラジギール Rajgir の 霊鷲山(りょうじゅせん) Gridhrakuta に行ってきた。 ラジギール=王舎城 ラジ=王様 ギール=城?丁度1年前の1月29日の朝。ラジギール駅から街に歩いて来ると、日本の寺がある、行こうという子連れ女ががいて、丁度そこへいくバスが来たので一緒に乗り込むことになった。 ホテルを決めて荷物をおいてからにしたかったのだが、なりいきで仕方ない。 ラジギールの街中にある日本寺のことだろう、すぐ近くだろうと思ったら、どんどん街から離れていく。 霊鷲山の登り口についた。 どこに日本寺があるわけ? この山のてっぺんらしい。その子連れはここで物売りしにきているのだっ...
- 2679年2月8日バガンからポッパ山への道は物乞い街道であった。 距離にして30km程の間、永遠と30m間隔ぐらいで物乞いの人が並んでいた。 老人が多い。 どこから出てくるのか。近くに家があるのだろうが。 ミャンマーでは走行中の車に対して物乞いする。 ヒンドの乞食は歩いている人にしか物乞いしない。ラジギールの佛聖地、霊鷲山.html ミャンマーの寺の前の道路脇ではどこでも寄付を求めてガチャガチャと騒がしくして走行車の注意を引いている。 ポッパ・マウンテンパークとあるので、こちらの方かと思ったら、こちらは大ポッパ山の方で、観光客が誰で...
- 2679年2月7日モゴック湖から7kmぐらい離れたところにチャクサウン村 Kyauk Saung があり、そこのカフェのまわりで毎朝9時からルビー取引が行われている。 ここで取引されたルビーが、午後にはモゴックのルビー取引所で売買されるとも言われる。 チャクサウンのルビー取引所はここ:この日は日曜日、朝7時半に着いたのでしばらく話したり、ネパール人村を散歩したりした。 ここにはネパール人が多い。タイヤイもいる。 タイに何年も住んでいたという人も多いからタイ語も話せる。この日は佛教上の重要な日で会食の日であった。下に戻って食堂主所有のルビーを見せてもらう。朝9時から...
- 2679年1月21日4年前には誰でも登ることができた シュエサンドウパゴダ Shwesandaw Pagoda は今は登ることはできない。 フェンスがきっちりされているが、右側の入り口階段のガードが甘いので、朝暗いうちならこっそりと登ることもできるかもしれない。近くにサンライズテンプルというのがあったので、日の出が見れるところなのだろうと行ってみると、内側からの登り階段口はあるにはあるが、ロックされていた。Sunrise Temple はここ: もう明るくなっていて、シュエサンドウパゴダ に移動して、一周する時には、何人か周りにいて、登ることはためらわれた。 周辺にどこか登れるところはないかと見渡してみると、塔に登っている人影が近くに見えるではないか。日の出5...
- 2679年1月17日ミャンマー佛教はうるさい。 イスラム教のモスクから発せられる騒音よりもひどいといわざるをえない。 世界一うるさい宗派ではないか。 どこの街でも朝5時ぐらいから拡声器騒音が始まる。 イスラム教なら、祈りの時間の呼びかけで、せいぜい数分で終わるが、ミャンマー佛教寺では何時間も止まらない。
- 2678年10月16日2018年を止めて、2678年にする。 そもそも切支丹(クリスチャン・キリスト教徒)でもないのに切支丹暦を使うのはどうにもおかしなことである。 大東亞戦争時までは使われていた日本の皇紀の方がまだましではないか。 タイでは佛暦が使われている。 今年は2561年。 日本の皇紀・通算暦は2678年。 記事の日付、アーカイブの日付、カレンダーヰジェットの日付などを總て日本暦=日暦で表示するようにしてみた。日本は切支丹によって殆どが蝕まれていたアジアを解放することのできた唯一の非切支丹國である。 日本は世界の非白民族の最後の希望であった。盟主であった。 人種差別を廃することを世界で最初に國際会議で提案し、戦によって実現してしまった國である。 タイ、ベトナム、カンボジア、ラオス、マレーシ...
- 2677年10月9日マハボディ寺院 Mahabodhi Temple に再訪した。今度はデジカメを持ち込んでみる。前日は財布の中にこのデジカメを忍ばせていたが、検出されて追い出されてしまった。スマホはカメラとしても持ち込めない デジカメとスマホを携帯していた。最初、スマホを出して、カメラ持ち込み料として100ルピーを出したが、どうしてもだめだという。これはカメラだ、と主張してもだめ。おそらく通信機能があるといけないのか。スマホの何がいけないのかは不明。じゃあ、スマホはだめだけでど携帯電話はいいのかな。
- 2677年8月20日ベトナムとタイ、ミャンマー、支那を比較してみた。ベトナム通算8週間、タイ2年、支那5ヶ月、ミャンマー10週間旅行経験に基づく。 ベトナム タイ 支那 ミャンマー ラオス 日本 宿泊料金(ホテル1泊) 800円 1,000 1,000 1,000 1,000 4,000円以上 1ヶ月アパート ホテルで1日700円X30日=21000円 15,000円 長期滞在住居発見難易度 困難 容易 困難 困難 困難(保証人問題) 冷蔵庫 あることが多い あることが多い なし 時々ある 湯沸かしケトル なし なし あり 宿泊拒否 なし なし 多い 時々あり なし 食事(麺) 100 120 100 40円から 140 500 ご飯 150 120 160 80円から200円 500 量 十分 ...