タンホアのビッグC前のバス停からハノイ行きのバスに乗ればニンビンのタムコック Tam Coc 近くで降りれる。 そこから2kmは歩くか、タクシーか。 タクシーはそこで待ち構えている。タムコックではボート乗り場があって、やたらとファラン観光客がうろついていた。 タムコックはユネスコ世界遺産に登録されているだけで来る人が多いのだろう。 観光客と旅人の違いチケットは5人乗りボートが15万ドンで追加一人あたり12万ドン。 外國人は2人までしか乗れないと書いてある。ベトナム人のボートには5人乗っていた。 一人で乗れば27万ドンかかる。観光客なら迷わずにこれに乗ってしまうだろう。 旅人なら、ふざけるな!っと、まずこの湖畔ボートコースを歩いてみる。 そしてボ...
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- 2679年3月3日Big-C タンホアでキムチに再開した。 白ごはんも買って、売り場内飲食場でさっそくキムチご飯にしてみたが、それほどうまいとは感じなかった。 500g27000ドンが最安だった。 日本米は4万ドンkgから。Big-C タンホア Thanh Hoa はここ:
- 2679年3月2日タンホアは海岸から10kmのところにあるから海産物が市場に豊富だった。 炊飯器を持ってこなかったのを後悔する。 あればホテルの電源で海鮮鍋でもできるのだが。 バスで6時間何も食べていないから急いでご飯物を近くで食べた。ビン、VINH のご飯屋のようなところはなかなか見つからない。 タンホアのバスターミナルの前の大通りの反対側から、左方向にサムソンビーチ Sầm Sơnへのバスが走っている。18000ドン。ホテルは25万ドンから20万に値切る。ハノイビールの瓶で1万ドンの店があったので飲む。 缶330ML、瓶は450MLで...
- 2679年2月27日バスターミナル前のアグリバンクでUSDをドンに両替できた。 タイバーツのレートは提示されていなかったのでできなさそう。その近くにMobifone 公式の大きな店があって、1年半前のSIMをチェックしてもらうと期限切れ。 新規SIMは5万ドンで前と同じ。 データープランも前と同じ5万ドン7GBにしようとしたら、5万ドン60GB30日のプランを勧められた。 毎日2GB使える。ヒンドや支那と同じ方式で1日あたりの上限 1~2GB。上限を超えると完全にストップ。 電話は別料金で使えるが、トップアップしないといけない。 合計10万ドン払って3,425ドンの残高。30日後に期限切れで再度同じプランを購入できるのかどうかは不明。 特別プロモーションプランなのかもしれない。...
- 2679年2月27日ベトナムをバスが走り始めて、驚いたことは田んぼが緑麗しく、稲が伸びていること。 ラオスでは田んぼはどこもカラカラで、日本の冬の田んぼのようであった。 それがベトナムに入るととたんに緑だからびっくりする。 山間から平野部まで200kmの間、緑でない田んぼは見なかった。 2月末である。 日本なら耕作放棄地だらけで夏場でも稲のない田んぼも多いが、ベトナムでは万遍無駄なく耕作されている。 8000万の人口を養うためには田んぼを休ませてはいられないのだろう。タンホア Thanh Hoáに近づいた平野部の田んぼでは、農薬らしきスプレーしている農婦を見かけた。 ずっと曇りがちな天気だった。
- 2679年2月27日ナメオ Na Mèo ~タンホア Thanh Hoá 間のバス運賃は25万ドンであるが、30万ドン取られてしまった。 たった200kmなのに、30万ドン=400฿もするのは高すぎるのだが。 25万ドンでも340バーツ。 差額60バーツだが取られすぎた。追記: と思ったら、ローカルベトナム人運賃は実は15万だった、ということは復路同じバスに乗った時に判明した。倍額請求がベトナムの外人ボッタクリ相場になっているようだ。ベトナムド...
- 2679年2月27日ラオス・ベトナム國境、Ban Na Mang ⇔ Na Mèo はバイクに乗ったファランがよく走っている。 ラオス側についた時は13:20分ごろで、アメリカ人とポーランド人のバイカーがいた。 ベトナムのハノイで英語の教師をやっている。 ラオスで故障したポーランド人のバイクのパーツを届けにわざわざアメリカ人の友が届けにきたという。ラオス側では人の出國スタンプが押され、オーバータイムチャージはかからなかった。 13:30までしっかり閉まっていた。 閑散とした國境で人の通行も少ない。 時折ミニバスの乗客がくるくらいだから昼休みは完全に閉めているようだ。車の手続きは特になし。 紫の車パスポートにも出國スタンプは押されなかった。 しつこく頼めば押してくれる...
- 2679年2月25日サムヌアからベトナムの國境Ban Na Mangまでは約80kmだが、途中30kmのところにビエンサイ Viengxay という街があり、そこに洞窟が無数にある。第二次インドシナ戦争、ラオス・アメリカ戦争時にアメリカ軍の空爆を逃れるために、 パテート・ラオ Pathet Lao ປະເທດລາວ 共産主義グループが避難生活をしていた。 パテート・ラオとは文字通りではラオ族の國、タイ語でプラテー・タイというのと同じ。 ラオ國、タイ國のようなもの。 当時はまだアメリカにバックアップされた南部のラオ王國政府と、北部のベトナム共産軍にバックアップされたパテート・ラオ共産軍が戦っていた。 1964年~1973年ぐらいの間にここの洞窟群が使われているたようだ。 アメリカ軍の...
- 2679年2月25日ナムアン温泉を脱出した後、村を離れて上り道に入って登りきったところあたりに広い空き地があって車を休めた。 翌朝日が昇って、振り返ると雲海が広がっていた。 サムヌア Sam Nuea の街まで15km。ベトナム國境まで約80km。 ラオスよりベトナムの方がガソリンは安いので最小限の給油にしておく。 たけのこ売りが多い。 サムヌアの雲海ポイントはここ:
- 2679年2月23日2つの温泉浴を終え、ムアンカムを去って北へ向かうとすぐに Tham Piew Cave への案内板があったので3kmの寄り道をした。 平行通り抜けできるので良い。 ここで1時間半ぐらい費やした。 副産物は、洞窟の中ではなく、下から湧水が川のように大量に流れ出てきていて、1.5リットルボトル4本に飲用水を詰めることができたこと。 非軍人を攻撃するのはアメリカの悪癖であった。 戦争にもルールがあるのではないのか。 洞窟までは歩いて10分の上り。 洞窟内奥行きは100mもない。洞窟内には照明はない。特に鍾乳洞的な造形美もないようだ。
- 2679年2月23日ムアンソウイの朝日の後、子供たちが登校前に学校前で食べていた所で同じものを食べてみる。 5000K。 ラオスではよくありがちなのだが、これは冷たい麺、予め茹でた白麺にソースを加えて、さらに水をくわえた冷たいヌードルスープ。 寒くて暖かいものが食べたいのに冷たいのはよくないし、衛生面でも不安になる。 燃料の節約のためか、火を使いたくないのか、ラオスではよくある路傍麺食である。 1時間後、次の街の小さな市場の隣の食堂でフォーを食べる。 1万Kでうまかった。 ポンサワンの市場内のフォーがうまそうに見えて食べてみたかったが、お腹いっぱいで控えた。 ポンサワンには戦争記念碑が2つあって、どちらも囲い内には入れなかった。解説もなにもない。 丘の上にあるので街の見晴らしはいい。ムアンカムの...
- 2679年2月17日ラオスのヌードルはいつもミントの葉っぱが付いてくる。 この香りがいい。 バクチーとは違う。 ベトナムの麺でもミントが付いていた。 タイのヌードルには葉っぱはついてこないのが普通。 付いてきたとしてもミントはなかった。 ラオスヌードルにはタイのヌードルのようなせこさが感じられないのがいい。 うまかった。 Kasi の市場内にて。 できたての状態 8000キープで買う。ちょっと丸っこい粒。 6000K で買う。カオ ルアンと言っていた。 Kasy Market ຕະຫຼາດກາສີ Viengkeo Village, Kasy District, Laos
- 2679年2月9日昨夜、ノンカイ Nong Khai のラオス國境橋近くの大きな交差点付近で夜10時頃遅くまでやっていた食堂でクイティオ(麺)を注文した。どんなクイティオか、という指定はしていない。 出てきたのは牛肉っぽい肉が入っていて、具の量は十分でまずくはないといえる。 ところが麺の量が底の方に小さくひとかたまりあるだけで少なく感じる。 すぐにスカスカになってきたので、白ご飯カオ・スエイを注文したがこれも見るからに少なくまばらな皿の盛り方ででてきた。 悲しくなる。 これでももの足りないくらいだった。なぜタイのヌードル、クイティオの麺の量は少ないのかという問題は永遠の謎である。 これは外國に出てタイに戻ってくるとあらためて強烈に感じざるを得ない問題である。 ミャンマーのシャン...
- 2678年10月16日2018年を止めて、2678年にする。 そもそも切支丹(クリスチャン・キリスト教徒)でもないのに切支丹暦を使うのはどうにもおかしなことである。 大東亞戦争時までは使われていた日本の皇紀の方がまだましではないか。 タイでは佛暦が使われている。 今年は2561年。 日本の皇紀・通算暦は2678年。 記事の日付、アーカイブの日付、カレンダーヰジェットの日付などを總て日本暦=日暦で表示するようにしてみた。日本は切支丹によって殆どが蝕まれていたアジアを解放することのできた唯一の非切支丹國である。 日本は世界の非白民族の最後の希望であった。盟主であった。 人種差別を廃することを世界で最初に國際会議で提案し、戦によって実現してしまった國である。 タイ、ベトナム、カンボジア、ラオス、マレーシ...
- 2678年7月18日2回目のビザランはラオスの國境チェンコン Chiang Khong にした。 チェンライから距離にして100kmぐらい。 バスで2時間65฿で、橋のイミグレまで3km地点の分岐道路地点で降ろされる。 橋までは行ってくれない。バスによっては5人集まれば行くとか、7人集まれば行くとか謂う乘務員もいるが、ウソっぽい。 その時は2人だけだった。 客引きの時は今4人いるとか謂ってたのは嘘だった。出発地点はチェンライの街中のバスターミナル。 ここからメーサイ39฿、Nan189฿、チェンマイ 行きのバスも出ている。 チェンコン行きは赤いバス。30分毎に出ている。チェンライからのビザラン費用比較 ビザラン チェンコン~ファーサイ(ボケオ)の場合 行き 土曜日...