ラジギールから15km のところにナランダ遺跡があり、ユネスコ の世界遺産に登録されている。 ナランダ遺跡とは侵入してきたイスラム教徒によって破壊された古代佛教大学の遺跡である。 687年~1853年(切支丹暦427年~1193年)破壊。ラジギールから15km、ローカルバスを拾って行ける。近くにブラック佛陀、その近くの村の中に太陽寺院もある。ナランダ遺跡はここ: 太陽寺院はここ:
155
タグ: イスラム ~ 13件
1/1 1
-
- 2679年2月11日ラジギールRajgirの温泉は汚すぎて混雑すぎて入る気がしなかった。 温泉は主に3箇所にわかれている。 イスラム教モスクにある温泉は、そこに泊まる資格のあるイスラム教徒以外は入れない雰囲気なので遠慮した。 宿はその近くに決めたのだが。 メインの丘の温泉の門前付近にある温泉はドツボ式で汚れがたまり放題。 ここのお湯は丘の上の温泉からパイプで引いてるのかも。メインの温泉は丘の上にある。 人が多すぎて汚い。その下流のプールこれは隣接した公園内。冷水のよう。 イスラム教区はここ:
- 2679年1月17日ミャンマー佛教はうるさい。 イスラム教のモスクから発せられる騒音よりもひどいといわざるをえない。 世界一うるさい宗派ではないか。 どこの街でも朝5時ぐらいから拡声器騒音が始まる。 イスラム教なら、祈りの時間の呼びかけで、せいぜい数分で終わるが、ミャンマー佛教寺では何時間も止まらない。
- ラショ温泉を離れて夕刻ラショ(ラシオလားရှိုး)市内、市場周辺を歩いた。 イスラムモスクがある。 ヒンズー寺堂が建設中かと思えばその隣はシーク教堂であった。 イスラムもヒンズーもいいが、拡声器でいつもゴチャゴチャと流すのをやめてもらいた。朝5時ぐらいから始まる。 佛寺でもうるさい刷り込み教育が行われている。拡声器の使用を禁止すればよいのだが。
- 2678年10月19日タイのリタイヤメントビザを更新するための必要書類は、新規でビザ申請した時と同じもの。賃貸契約書のコピー オーナーのタビアンバーンのコピー オーナーのIDカードのコピーこれらにはオーナーの自筆署名があるが、コピーで良い。 ずっと同じところに住んでいるならば、毎年の更新時にオーナーをわずらわせることなく、コピーで対応できる。最初にチェンライのイミグレーションオフィスに行ったら、タビアンバーンの住所と賃貸契約書の住所が違うから、賃貸契約書の住所のタビアンバーンも必要だと追い返された。 それでメーサイのイミグレに駆けつけたわけだ。 メーサイなら2ヶ月前にそこで同じ書類で審査を通過しているわけだから、その同じだけのタビアンバーンのコピーでいけないわけがな...
- 2678年10月16日2018年を止めて、2678年にする。 そもそも切支丹(クリスチャン・キリスト教徒)でもないのに切支丹暦を使うのはどうにもおかしなことである。 大東亞戦争時までは使われていた日本の皇紀の方がまだましではないか。 タイでは佛暦が使われている。 今年は2561年。 日本の皇紀・通算暦は2678年。 記事の日付、アーカイブの日付、カレンダーヰジェットの日付などを總て日本暦=日暦で表示するようにしてみた。日本は切支丹によって殆どが蝕まれていたアジアを解放することのできた唯一の非切支丹國である。 日本は世界の非白民族の最後の希望であった。盟主であった。 人種差別を廃することを世界で最初に國際会議で提案し、戦によって実現してしまった國である。 タイ、ベトナム、カンボジア、ラオス、マレーシ...
- 2678年9月20日オシ Osh → カザフスタンへ オシでは丁度、皆既日食がはじまった。ニセ警察官に50ドル盜られる ビシュケク Bishkek に戻ってカザフスタンのビザ申請した。 その間、ビシュケク 南部郊外でオートキャンプしていたのだが、夕刻そこに来てドアを全開して車内で休んでいると、警察服を著た男1人ともうひとりが近づいてきた。そいつは所持品検査などはじめ、財布の中身ものぞき始めた。 50USDドルが入っていたのだが、返された時にはそれがなかった。彼らは去っていった。周りは灌木がちらほら生えているような原野だった。 そんなところに警察が現れることがおかしなことであった。教訓 不審人物が近づいてきた時には車の窓をすぐに閉める...
- 2678年4月12日ウーティを目指して標高 2200m まで来れば涼しくなるのは当然だが、騒音、車両のクランクションは他のヒンドの街に劣らず最強レベルの音量と頻度であった。 山が近く反響するためか、一層響いているかもしれない。 そこがヒンドである限り、タミル語を話す人であろうがヒンズー語を話す人であろうが、クランクション騒音のひどさは変わらない。 唯一佛教徒のシッキム州だけはクランクションを控える美徳をわきまえているようだ。ヒンドは世界一うるさい國と言っても間違いではないだろう。 多数派のヒンズー教のなせるわざなのであろう。イスラム教徒もヒンズー教徒に負けずにクランクションを鳴らさなくてはいけなくなる。 イスラム教の騒音公害は朝5時に始まる。 チェンナイのような大都市のど真ん中で...
- 2678年3月20日チェンナイの Anna Nagar に近いところにある Divine Mercy Church は大きくて常時開放されているから中に入って涼しく静かに休憩できる。 ここは大きいし本格的な切支丹教会に見える。 毎日ミサの時間もあるようだ。 ヒンドではどこの切支丹教会も閉まっていて簡単に中に入れないことが多いのだが、ここはいつも入れてありがたい。 午後2時半頃、初めて入った時は誰もいなくて静かに休憩できた。 後日、2回目は午後4時頃、丁度ミサ中だった。 後ろの方から入って後ろの方に座る。 英語のミサもあるようだがその時はタミル語か、ヒンズー語かわからなかった。 説教が長い。 歌も歌う。 ピース・トゥー・ユー Peace To You と周りの人と言い合う儀式で一段落する。切...
- 2678年3月16日Nobel Mansion の近くをうろつくとイスラム教会があったり、ヒンズー 神像の抜け殻の像窟があったりする。 夜になると牛丼になりそうなビーフ焼き肉も売っている。 40Rs/100g で 牛汁チャパティもある。ご飯はない。 後味は激辛。ご飯にのっければ立派な牛丼になる。ネパールによくある水牛(バフ)じゃないのかと確認したが、普通の牛だという。生の牛肉屋では1kg 240Rs と言っていたからヒンドでは牛肉は安いのではなかろうか。 ただし、牛肉が買えるところは非常に限られている。ヒンドで牛肉を食べたくなったらイスラム教区へ行くべし。 Rajigir の佛跡の街でもイスラムエリアがあり、ビーフ串焼き、ビーフカレー...
- 2677年10月9日マハボディ寺院 Mahabodhi Temple に再訪した。今度はデジカメを持ち込んでみる。前日は財布の中にこのデジカメを忍ばせていたが、検出されて追い出されてしまった。スマホはカメラとしても持ち込めない デジカメとスマホを携帯していた。最初、スマホを出して、カメラ持ち込み料として100ルピーを出したが、どうしてもだめだという。これはカメラだ、と主張してもだめ。おそらく通信機能があるといけないのか。スマホの何がいけないのかは不明。じゃあ、スマホはだめだけでど携帯電話はいいのかな。
- 2677年4月26日いい温泉を発見した。 ここは地図に載ってないかと思ったら、載っていた。 タイ語で、บ่อน้ำร้อนสามพี่น้อง ボーナムロン サンピーノン Three Sons Hot Spring という。三兄妹温泉である。ボーナムロン=ナムフーロン=温泉 だった。บ่อน้ำร้อน ボーナムロンという語でマップを検索すると結構でてくる。 2個浴槽があって、ひとつは熱すぎて入れない。もうひとつは入れる。 朝は丁度よいぬるゆ。周りはゴムの木林で朝の3時頃からバイクでかけつけて、木を切り刻んでいた。朝起きて見てみると白い樹液が滴っていた。白い鮮血のよう。女が作業。 この辺はイスラム地帯である。 ...
- 2676年9月12日リタイアビザ、ロングステイビザ(リタイアメントビザ、 退職ビザ)は住んでいるところに属する県のイミグレーションオフィスでなくてもとれるかもしれない。 今回は、クラビのアパートを1ヶ月借りて、賃貸契約書ができたので、クラビのイミグレーションに申請に行ってみた。 すると、アパートオーナーのタビアンバーンを要求されたりややこしいことをふっかけてきたので、バンコクで取ることにした。クラビのイミグレは暇そうではあったが、担当者が気難しい。イスラム的な気難しさといえるだろうか。 バンコクでアパート1ヶ月契約して契約を作成し、契約書と次の書類を準備してイミグレに行く。● 住居の賃貸契約書 ● 住居の地図 ● パスポート原本、コピー(顔写真の頁、入國スタンプの頁、観光ビザの頁、計3枚) ● ...