やっと車を買える時が来た。 最初に Bandu の Hondaに寄って値段を聞いたら定価594000が 574000฿だった。 次にセントラルの隣の Honda Chiang Rai 本部に行くと、同じ値段 574000฿だった。 付属品などの条件も同じようだ。 当日に頭金 5,000฿払って、翌々日の月曜日の昼には残りの 569000฿ 払って持ち帰りできた。 ナンバーは1ヶ月ぐらいでできるという。 それまではナンバー無しで走れる。グレードは Jazz の S CVT オートマで最安のクラス。 付属品 付属品は、 ガソリン満タン 保険1年 カーフィルム 40%(60%の方がより暗い) 雨除け ブースターケーブル 牽引ロープ 車カバー 洗車用具 ジ...
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カテゴリ: 車世界一周 ~ 74件
日本から車で世界一周する。ウラジオストック→ノルウェー→ギリシャ→キルギスタン→ブルガリア→パキスタン→アフリカ
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- 2678年9月21日タシケントからナマンガンを経てキルギスへナマンガンでは夕刻、道路沿いの家々の前でしきりに水打ちしていた。ウズベキスタンの出國前に、余った金で紙パックジュースをたくさん買ったのだが、それがよくなかったらしく、キルギスに入ってすぐにお腹を壊して動けなくなった。小さな國境だった。
- 2678年9月21日トルクメニスタンFarab 國境 からウズベキスタンに入る。 サマルカンドを経てタシケントへ。 タシケントではパキスタン大使館に行って、ビザを申請する。 イランのテヘランでは取れなかった。 日本大使館のレターが必要で、日本大使館がそれを出さなかったから取れなかった。 ザヒダンエリアで日本人旅行者の誘拐事件があったとかで、日本大使館は日本人がそのエリアを通過することを望んでいなかった。 マシュハドのパキスタン領事館にも行ってみたがだめだった。 ザヒダン Zahedan にもパキスタン領事館があって、そこでもトライすべきであった。 後日そこを訪れたら簡単にとれそうだった。それで当初の予定になかったトルクメニスタンとウズベキスタンのビザをとり、イランから...
- 2678年9月20日イランとトルクメニスタンの國境は Sarakhs サラクを通過した。 イラン側の車の通関は、入國時に予定された出國ポイントではないということでケチつけられたかもしれないが、無事に人も車も出國できた。イランからトルクメニスタン、ウズベキスタンへ450km トルクメは2泊3日でウズベキスタンに出國している。 トルクメニスタンの通過ビザは5日有効だったか。 もう少し寄り道できたかもしれない。マリの遺跡めぐり トルクメ-ウズベク國境はここ、イランから450km2008年6月
- これまでの旅の途中で盗難、強盗にあった経歴を列挙する。● 南朝鮮の首都ソウル 金の持ち逃げ 1990年11月 ソウルのバスターミナルで南部カンジュ光州行きのチケットを買う際に、電車の中かどこかで声かけられた日本語を話す若い男が自分も光州に行くと言い、一緒に行くか、チケット買ってくるからお金よこせ、となり、素直に渡したらそのまま逃げられた。 ソウルに来たのは片道航空券で行くアメリカのビザの申請のためで、すぐに滞在していた光州に戻る予定だった。● スペイン 自転車の丸ごと盗難。 1995年 モロッコのCeuta(スペイン領)に行く船に乗るために港の町中で荷物付きの自転車を置いて歩いていて、戻ったらなかった。 しばらくして発見されたが、トラベラーズチェックなどが盜...
- 2678年9月20日オシ Osh → カザフスタンへ オシでは丁度、皆既日食がはじまった。ニセ警察官に50ドル盜られる ビシュケク Bishkek に戻ってカザフスタンのビザ申請した。 その間、ビシュケク 南部郊外でオートキャンプしていたのだが、夕刻そこに来てドアを全開して車内で休んでいると、警察服を著た男1人ともうひとりが近づいてきた。そいつは所持品検査などはじめ、財布の中身ものぞき始めた。 50USDドルが入っていたのだが、返された時にはそれがなかった。彼らは去っていった。周りは灌木がちらほら生えているような原野だった。 そんなところに警察が現れることがおかしなことであった。教訓 不審人物が近づいてきた時には車の窓をすぐに閉める...
- 2678年9月20日イシュクル湖→ソンクル湖→トルガート支那國境→イルケシュタン支那國境へ。 クル=湖。 7月半ば、朝は凍える。トルガート支那國境は第三外國人は越境不可だったような。 それでイルケシュタンIrkeshtam 國境へ向かう。
- 2678年9月20日アルティンアラシャン Altyn-Arashan 温泉の谷の後は、別の谷道に入ってみた。 チョンアシュ Chon-Ashu Pass 峠 3822m の峠越え。 雪が残る。 Enilchek の橋まで行ったらそれ以上は立入禁止だったような氣がする。 帰りに土人家庭の食。
- 2678年9月20日キルギスの イシュクル湖 Issyk Kul の南東側、Karakol から車でもアクセスできる温泉がある。 28km、土道で岩もゴロついている。 アルティンアラシャン Altyn-Arashan という宿キャンプ地に温泉がある。 そこから奥まで歩くハイキングがいい。 乗馬ツアーもできる。 歩きは平坦な道が続き単調といえば単調か。だから馬がいい。 このAltyn-Arashan温泉に行く途中にも温泉地がある。 そこは個室式だった。 7月9日2006...
- 2678年9月19日キルギスのイシュクル湖 Issyk Kul の北岸を東へ走る。 Karakol まで。 カラコルには日本の海外青年協力隊がいたかな。イシュクル湖は標高1670m。長さ160km。一周するのに400kmぐらいか。
- 2678年9月19日ビシュケック南方40kmの谷、アラアチャ國立公園 Ala Archa National Park に行った時の写真。 ビシュケクでインドビザの申請して、その合間に行ったのだろう。 あまり奥まで歩いてないかな。ビシュケクは標高750m。2100まで上がる。 この写真はいい。2008年7月2日
- 2678年9月19日ウズベキスタンのナマンガンからキルギスのビシュケク Бишкек、Bishkek に至るルート。 3175mのアラベル峠 Ala-Bel を超えるところに花あり。
- 2678年9月19日キルギスに来たら馬を買って旅するのがいい。 馬は10万円ぐらいで買える。 ロバを買って旅してたが逃げられたというフランス人がいた。 キルギスタンの山の谷はだだっ廣くて長い。 歩くには長すぎな感じになる。馬で國境は越えられるのか、タジキスタン、ウズベキスタンも馬で行ければいい。
- 2678年9月2日ボクルア Bo kluea からチェンライへの帰路はナン Nan 経由にする。 ナンはラオスからタイに初めて來た時の最初の街だった。 今回はチェンライから出発するときに、宿のオーナーからナンは洪水だと聞かされて心配していた。 その2日後にナンの街の革に来てみると、既に水は引いていて通行の障害はなかった。 軍隊らしき部隊がなにかしていた程度。 泥が溜まっていた。 プミン寺の前の観光案内所でシャワーした後、温泉はないかと尋ねると一箇所だけ遠い所にあるという。 それは来る途中で見かけた温泉マークのところだった。 来る時もその道を少し探ってみたのだが、その目的地までの距離が書いてなくて不安になり引き返してしまった。 しっかり立ち止まってじっくりと地図で温泉を探してみるべきであった。 よく見ると、Ma...
- Bo Kluea の塩井戸に行ってきた。 Bo が井戸、Kluea が塩を意味する。 チェンライから Nan のBo Kliuea まで往復600km弱。 バイクで行ってみたらなかなか爽快なルートだった。 峠越えがいくつかある。 標高1200〜1600m を超える。 山ルートは車も少なく、ほとんど独走体制だった。 下りはエンジン止めて自転車モードで走ると静かでいい。 レンタルしたバイクはホンダのクリック。 まだ走行距離6500km ぐらいの 新品で、今年買ったばかりという感じの赤いバイク。 この新品度でホンダクリックで2500฿/月は格安。 普通なら3500ぐらいはする。いまパイに来て相場を確認すると、1日100฿のバイクがあり、それを1ヶ月なら2000฿にはなる。走りの快適...