ミャンマーのガソリンの値段は、タチレクではタイと同じで1リットル24バーツ80円、チェントンも24バーツ、kunhingに近づく頃から770チャット=16バーツ=54円になった。
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- ロイ族の村があった。 女が銀色の腹巻きしているのが特徴。 耳飾りが大きい。 集落を散策してみると、高床の家が長い。 多数の家族が一緒に住んでいるらしい。 トウモロコシを干していた。 山はきれい。 一泊ぐらいしようかと思ったが2時間ぐらい粘って次の街へ進んだ。 ロイ族村の場所はここ: Man Nawngmawn ဝၢၼ်ႈၼွင်မူၼ်း の近く
- 2679年1月2日Kunhing を歩く。 曇っている。 静か。 市場があった。 みかんと菓子買う。味見して美味かったので買う。1000k/k 切ってるの買った。300k 1月2日の登校。市場ここ
- 2679年1月1日元旦はミャンマー、シャン州、クンヒン Kunhing のパゴダに落ち着いた。 青空に黄金色の円錐塔が冴える。 小高い所にあって遠くの橋から見える。 Mahar Kanbawza Pyi Nyein Aye Pagoda Kunhing
- 2679年1月1日ミャンマーテレコム MPTのSIMカードを買ったらMPT4Uアプリをインストールして残高確認するといい。一目瞭然になる。 USSDコード*124#は覚えるのが困難。 *777# が新規購入メニュー。 今回は、タチレクでシムカードが50バーツ、データ2500MBが2500チャットだがチャージは3000チャットした。 ボーナスが1GBついてきた。 最初のタチレク郊外の泥道街道沿いではTELENORの電波しかなかった。 その後、このあたりのタウンジ街道では電波が全くない集落もある。
- やっとご飯物にありつけた。 ミャンマーの定食はおかわり自由だった。 スープうまくて、お替り来た。 熱いお茶も。 食べ終わって支払いは5000チャット。=100バーツは高い。 3000チャットに収まるはずだった。 タイ語が通じる。最初の店でカオソイを注文したら、インスタントはだめだというのに、インスタントがでてきたので店変えた。 今日は、元旦だがここでは特別な日な感じはしない。Near Mong Hsat
- チェントンからタウンジへの道中。 朝のカオソイ。1000チャット。 子供が作ったのだが、うまかった。 タイのクイティオのようなものだが、麺の量は多め。サルナシのような果実のクズをかじって味見して見たら渋かった。 ミャンマーに入って、タチレクからここまでカオソイばかり食っている。 ご飯ものを食う機会がない。
- 2678年12月31日ひときわあざやかな桃色の木の花が咲いていた。 木の肌を見ると桜のようだ。 ミャンマーの桜、シャンの桜。 標高1400m
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- 2678年12月31日ミャンマー、チェントン Keng Tong (チャイントン)の温泉に着いた。 日曜日で賑やか。 車オーディオで音楽ガンガンならしてる。 ここの温泉を一回りしてみると、個室風呂が1000チャット=20バーツであった。 満室ですぐには入れなかった。 無料の大プール等はない。 ゆで卵に励んでいる人多し。 個室風呂に4時半頃入ってみると、中は薄暗くて汚さがよく見えない。 湯と水を同時に入れないと熱すぎる。 水は泥濁っている。 雨上がりだからという。 雨がなければ清涼なのか。 20分ぐらいで身体洗ってすぐにあがる。 排水口が小さくて溢れるお湯が詰まって、汚い床と混ざる。 おすすめはできない。 足湯もない。 流れている溝の湯は熱すぎてさわれないくら...
- ブアトンの花(メキシコひまわり)Buatong の季節がやってきた。 2年前にたまたまミャンマーの國境奥の ドイ・フア・メーカム Doi Hua Mae Khamまで行った時に山の斜面に小型の黄色い花が満開であった。その時は祭り日の前の週あたりだった。 今回は祭り日の16日を狙って行ってみた。バイク、車がいっぱいで置き場に困る。 キャンプ地もいくつか指定されていて、テント泊も車中泊も無料でできる。...
- 2678年10月16日2018年を止めて、2678年にする。 そもそも切支丹(クリスチャン・キリスト教徒)でもないのに切支丹暦を使うのはどうにもおかしなことである。 大東亞戦争時までは使われていた日本の皇紀の方がまだましではないか。 タイでは佛暦が使われている。 今年は2561年。 日本の皇紀・通算暦は2678年。 記事の日付、アーカイブの日付、カレンダーヰジェットの日付などを總て日本暦=日暦で表示するようにしてみた。日本は切支丹によって殆どが蝕まれていたアジアを解放することのできた唯一の非切支丹國である。 日本は世界の非白民族の最後の希望であった。盟主であった。 人種差別を廃することを世界で最初に國際会議で提案し、戦によって実現してしまった國である。 タイ、ベトナム、カンボジア、ラオス、マレーシ...
- 2678年7月18日ヒンドからタイに入って30日が迫り、最初のビザランはタチレクにした。 ここの國境の橋は歩きで渡れるのがいい。 ミャンマー側にビザ無しで入るには、10ドルか500฿の入域許可証が必要。 ミャンマー側の入出國スタンプなしにタイ側に戻ろうとするのは運が良くない限り不可能であろう。 タイ側の入國スタンパーがラフで、いちいちミャンマー側の出國スタンプをチェックしないような人に当たれば幸運である。 帰りに氣付いたのだが、橋の上にAISとTOTの通信ケーブルがミャンマー側に伸びていた。 それで空港近くまで行ってもAISの電波が入っていたのだ。 タチレクではAISのSIMが最強であろう。
- 2678年7月18日2回目のビザランはラオスの國境チェンコン Chiang Khong にした。 チェンライから距離にして100kmぐらい。 バスで2時間65฿で、橋のイミグレまで3km地点の分岐道路地点で降ろされる。 橋までは行ってくれない。バスによっては5人集まれば行くとか、7人集まれば行くとか謂う乘務員もいるが、ウソっぽい。 その時は2人だけだった。 客引きの時は今4人いるとか謂ってたのは嘘だった。出発地点はチェンライの街中のバスターミナル。 ここからメーサイ39฿、Nan189฿、チェンマイ 行きのバスも出ている。 チェンコン行きは赤いバス。30分毎に出ている。チェンライからのビザラン費用比較 ビザラン チェンコン~ファーサイ(ボケオ)の場合 行き 土曜日...