ナムディンはポルトガル人から切支丹教を伝道された地域らしく、古めかしく歴史を感じさせるカトリック教会堂も多い。よく見かける。1533年、丁度日本に切支丹ザビエルがやってきた頃。 その後のフランス植民地時代にはフラン式カトリック教会が多数建てられたのだろう。フランスは去ったが、カトリック切支丹の心は残った。 現在ベトナムには900万人ぐらいの切支丹がいて、アジアではフィリピン、朝鮮につぐ多さとなっている。 南ベトナム時代の大統領はカトリック切支丹で、佛教を弾圧して、佛教旗を揚げることを禁止したそうな。1963年には射殺する事件も起きている。 南ベトナム政府が滅ぶべき運命にあったのはそのせいだろう。 90%以上の佛教徒國民を敵に回す南ベ...
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- ワンリ修道寺 Warn Li Monastery の朝 800K 4人の子供が写っている。 ミャンマーの子供はかわいい。 いたるところに子供がいる。 フィリピンとどちらが多いだろうか。 朝霧。Warn Li Monastery Namlan の市場で 鶏肉と牛肉ご飯 3000K
- 2678年10月16日2018年を止めて、2678年にする。 そもそも切支丹(クリスチャン・キリスト教徒)でもないのに切支丹暦を使うのはどうにもおかしなことである。 大東亞戦争時までは使われていた日本の皇紀の方がまだましではないか。 タイでは佛暦が使われている。 今年は2561年。 日本の皇紀・通算暦は2678年。 記事の日付、アーカイブの日付、カレンダーヰジェットの日付などを總て日本暦=日暦で表示するようにしてみた。日本は切支丹によって殆どが蝕まれていたアジアを解放することのできた唯一の非切支丹國である。 日本は世界の非白民族の最後の希望であった。盟主であった。 人種差別を廃することを世界で最初に國際会議で提案し、戦によって実現してしまった國である。 タイ、ベトナム、カンボジア、ラオス、マレーシ...
- 2678年6月29日大東亞戰爭後、日本人に刷り込まれてきたのがアメリカ史觀。 自國を貶めるやうな發想にとらはれてゐるので、よく自虐史觀などと言はれてゐるが、元敵國側の歴史觀なので敵國史觀と云つたはうがいい。 敵國=アメリカ、イギリス、支那+朝鮮 アメリカ占領軍が表現の自由を犯す檢閲を行つて刷り込んできた「太平洋戰爭」史觀である。 アメリカ史觀と云へば良い。 東京裁判史觀と云ふ奴もゐる。この自虐史觀、アメリカ史觀は究極的には日本國内のアメリカ軍の基地がなくなるまでなくなりにくいだらう。 日本國内に居坐るアメリカ軍が怖くて自由にものが言へない状態と云ふのが現状である。 自虐史觀などといい、アメリカ史觀と正直に言へないのもこのせい。
- 2678年6月24日巷でいわゆるインパール作戦とはなんぞや? 大東亜戦争中の1944年1月の「ウ号作戦」のことをインパール作戦と呼んでるらしい。 ウ号作戦=印度解放作戦=ヒンド独立戦争 私達は日本兵がヒンド解放の為に戦ってくれた事をよく知っていました これがウ号作戦の指令原本 発送番号 大陸指第一七七六号 発送月日 昭和19年1月7日 宛名 大陸指(案) 件名 ウ号作戦ニ関スル件 大陸命第650号ニ基キ左ノ如ク指示ス 南方軍総司令官ハ緬甸防衛ノ為適時当面ノ敵ヲ撃破シテ「インパール」附近東北部印度ノ要域ヲ占領確保スルコトヲ得 - 大陸指第1776号 大陸指(案) ウ号作戦ニ関スル件この作戦指令書によれば「インパール付近東北部印度の要域を占領確保すること」とある。 インパール付近の東北部なの...
- 2678年4月12日Ooty は宿が高め。 個室は最低500Rs からだった。 400Rsのところもあったが満室が多かった。 バス・トイレ共用なら300Rs からあった。 シーズン入り口で満室が多かった。空気は冷たかった。 夜は長袖になる。 交通騒音がうるさい。 長期滞在できるような気はしないところであった。 500Rsの宿もよくない。Doddabetta Peak だけ行ってみようとバスに乗ったら間違えていて途中下車。 あきらめてマイソールへ下山バスにした。Nilgiri登山鉄道 はユネスコの世界遺産に登録されている。 イギリス植民地時代の遺物を世界遺産にするのは、しばしば元宗主國が主導してやりそうなことである。 世界遺産目録に登録されるに値するようには見えなか...
- 2678年3月19日ヒンドの街の真ん中には必ずMGロード、MGスクエア、MG(マハトマ・ガンジー)像がある。ロシアの街にはレーニン像、レーニン通りがあり、ベトナムの街にはホーチミン広場、ホーチミン像があるのと同様である。ガンジーは印度独立の父と呼ばれるが、日本の対米英戦争がなかったら、ヒンドの独立は100年以上後に実現できたかどうかもわからないくらい不確かである。ヒンドが現在のアメリカ、ハワイ、中南米諸國のように、原住民のインディアンが狭い居留地に閉じ込められて白欧人の移民が多数派になってしまうような状況に追い込まれたかもしれない。日本軍が英米軍をマレーシア、シンガポール、フィリピンから駆逐し、オランダ軍をインドネシアから追い出すことに成功しなかったら、ヒンド人が自ら独立できるな...
- 2676年4月4日フィリピンのサガダ Sagada に着いて、やっと見つけたホテルまでの下り坂をスーツケースごろごろ引きずっていると、凸凹に引っかかってキャスターが1個がたがたになった。 軸棒がずれてしまった。 薄暗くなってよく見えないまま強引にひきずったのがいけない。それでその後は引きずる向きを逆にして、その位置の車を使わないでいいように引いたり、幅が狭い方の面を前向きにして引きずったりして凌いでいた。 タイの人に尋ねると、Mr. Bagfixというサイトを教えてくれて、バンコクと、チェンマイに店があることがわかった。チェンマイでは、空港近くの TescoLotus Hangdong ショッピングセンターの近くにある。 見積もりで400バーツ1200円、1時間後にできるので、Lotusで...
- 2676年3月19日人口と人口密度、人口増加率の推移を見てみる。タイ、日本、フィリピン、マレーシア、ミャンマー等。朝鮮の人口密度の高さは朝鮮に行ってみれば感じることである。
- 2676年2月2日フィリピンの居住環境の最大の問題はジープニーによる排気ガス汚染と交通騒音。 どんな田舎でも1台の乗り合いジープが通りがかるだけで最大限の排気ガスをばらまいていく。呼吸を止めざるを得ない。 アメリカという國はとんでもない毒物拡散装置、住環境破壊マシンを普及させる國である。 バイクの騒音がひどいのはHondaが海外の騒音規制の緩い國でうるさいバイクを売っていることに問題がある。自分の國で売れないような環境破壊マシンを他國で売ることに問題がある。 ベトナムもバイク騒音、排ガスがひどい。そういう國の住民は悲惨である。 フィリピン人は毒ガスジープニーを全部スクラップにする勇気を持つことができるか。 フィリピンから毒ガスジープがなくなる日がいつの日か来るであろうか。 フィリピンの地獄が天國に変わる時であ...
- 2676年2月2日サガダからバギオのバスを降りたら、同じターミナル(公設市場の前 )から夜中の12時発のManila行きに乗り継ぐことができる。出発時間まで荷物を預かってくれるので街散策できる。 すぐにマニラ行きバスに乗りたければ、タクシーで別のターミナルに移動する必要がある。マニラまで6時間かかるので着くのは夜になる。 深夜12時発は朝5時に終点マニラについた。北部のDimasalangというところに着く。そこからタクシー110ペソでErmita地区の安宿に来れた。 Baguio-Sagadaの行きは酔って2度も吐いたが、帰りはなんともなかった。行きのバスはリクライニングが壊れていて窮屈だったのと、運転手の運転相性が悪かった。 フィリピンのバスでは進行方向に向かって右側の窓際の席がいい。左側だと対向車の騒音...
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- フィリピンのSagada、Bontoc。この辺りでは早朝未明から雄鶏の雄叫びがいたるところでひびいてくる。どこでも鶏がうろついている。柵の中に囲われているのもあるがそうでない放し飼いも普通である。犬も猫も徘徊している。これで鶏は全滅しない。 ただし、日本と違うところは、イタチ、狸などの野生動物の外敵がいないことか。野獣に鶏が襲われることがない。野犬、野猫はいるだろうに。 Mainit 温泉にて
- 2676年1月30日Sagada では、祭になった。 昨夜から騒ぎ始めた。 Sagada Etag Festival、Etag とはマーケットでも尋ねたが豚肉のスモークのようなもの。 今朝8時頃からパレードが始まって部屋にじっとしていられなくなった。 外に出ると道路沿線に見物人がずらり。 教会の入り口に落ち着いてながめていた。 地域の学校、会社、団体ごとのパレードがつづく。 1時間ぐらい。下の方から歩いてきて役場前を通過し、教会の広場のほうに抜けていく。 ネットにはこの祭りの情報はなかった。 プログラムを入手したのでここにあげておく。 毎年同じような感じだろう。 毎年1月末から2月初頭にやっているようだ。 今年の春節は2月7日だからその時期に合わせているようだ。 このホテル、Tina...
- 2676年1月29日Sagadaに着いた翌日は日曜日。教会の脇からエコーバレーにつながっているらしい。 Sumaguing Cave洞窟めぐりは、ガイド料500ペソ2時間4人まで2つの洞窟を結ぶ4時間コースは800ペソ。 Sumaguing CaveとLumiang caveを通り抜ける。