インレー湖に突入する前に、タウンジの南方50kmの所にある、カク・パゴダ Kakku Pagodas に行く。 ここも小さな尖塔が林立する。 2000本以上あるらしいが、こういう形態の佛教建造物は多数という意味で、千本佛塔、千本パゴダと呼ぶべし。 Mahar Myat Mu Ni のように黄金ペンキで彩られていない。長銃を抱えた軍服人が何人もいて監視している。 夕方と翌早朝に歩いたのだが、風が吹けば鳴るという風鈴の音は一度も聞こえなかった。 周囲は巨木に囲まれていて、風は吹きにくいのではないか。 昼間なら風が強くなるかもしれない。周囲は巨木がよい木陰をつくっているが。 このカックーパゴダをカックー遺跡と日...
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- 2679年5月29日Ranong Canyon というところがラノンの温泉から10kmぐらい山奥に入ったところにあって、未踏だったので朝の温泉後に車を走らせてみた。 キャニオンというので谷のようになっているのかと思ったら地形的にはそんな感じはしない。 ただ綺麗な湖があるだけだった。 湖畔も少ししか歩けない。 ハイキング道でもあるかと期待して来たのだが見つからなかった。 朝の蚊が多い。 そこから少しジョギングを始め、土の支道に入るとすぐにゴミ捨て場に出て引き返した。舗装道路しか歩けるところはないからやめた。帰る途中にダム湖にも寄る。 中型の鳥が鳴く。太陽が上がらないうちならよい湖畔ジョギングコースになるかも。
- 2679年3月3日タンホアのビッグC前のバス停からハノイ行きのバスに乗ればニンビンのタムコック Tam Coc 近くで降りれる。 そこから2kmは歩くか、タクシーか。 タクシーはそこで待ち構えている。タムコックではボート乗り場があって、やたらとファラン観光客がうろついていた。 タムコックはユネスコ世界遺産に登録されているだけで来る人が多いのだろう。 観光客と旅人の違いチケットは5人乗りボートが15万ドンで追加一人あたり12万ドン。 外國人は2人までしか乗れないと書いてある。ベトナム人のボートには5人乗っていた。 一人で乗れば27万ドンかかる。観光客なら迷わずにこれに乗ってしまうだろう。 旅人なら、ふざけるな!っと、まずこの湖畔ボートコースを歩いてみる。 そしてボ...
- 2679年2月25日サムヌアからベトナムの國境Ban Na Mangまでは約80kmだが、途中30kmのところにビエンサイ Viengxay という街があり、そこに洞窟が無数にある。第二次インドシナ戦争、ラオス・アメリカ戦争時にアメリカ軍の空爆を逃れるために、 パテート・ラオ Pathet Lao ປະເທດລາວ 共産主義グループが避難生活をしていた。 パテート・ラオとは文字通りではラオ族の國、タイ語でプラテー・タイというのと同じ。 ラオ國、タイ國のようなもの。 当時はまだアメリカにバックアップされた南部のラオ王國政府と、北部のベトナム共産軍にバックアップされたパテート・ラオ共産軍が戦っていた。 1964年~1973年ぐらいの間にここの洞窟群が使われているたようだ。 アメリカ軍の...
- 2679年2月18日ルーイ Loeiの西、25kmのところにフイナムマン Huai Nam Man ห้วยน้ำหมาน という大きな貯水池がある。 この湖の周りをブラブラするつもりで行ってみたら、屋根付きの筏船があってその上で食事をしてゴロゴロするだけになった。 これまでにもこのような湖畔の水上に張り出したレストランには何度か行ったことがあるが、 ここの変わったところは、湖畔だけでなく、岸から離れた湖上に連れ出してくれて、そこで停泊し食事などができるということであった。 そのためには350฿かかる。 が、ほとんどのグループが沖へ出ていた。 料理もモーターボートの給仕が運んでくれる。 トイレに行きたい時にはボートで岸まで送迎してくれる。 1日中、滞湖上できるらしい。...
- 2679年2月7日5大木パゴダの朝焼け大木の下は案外暖かい。標高は高いのだが、街の湖畔で寝るより暖かく感じる。湿気も少ない。 モゴックには戻らずにそのまま峠越えして、チャットピン Kyatpyin に出て、バウロンレイ Baw Lone Lay ဘောလုံလေး のカナセ達、ルビー最終探索場に向かう。峠から標高は1500~1700m地帯。通りかかった寺に人だかり。ここでも会食。バウロンレイ Baw Lone Lay ဘောလုံလေး のルビー採探所はここ: ...
- 2679年2月7日ミャンマーのルビーの産地を探ってみるとマンダレーから200km北東のモゴック Mogok が一番源流らしい。 進行予定ルートからそれほど離れた距離でもないので行ってみた。 ここで初めてシャン州を外れることになったが、シャン州の境界線がここだけえぐれていることから、ここももともとはシャン州文化圏だったのだろう。 ルビーが産出されたために、ブリ帝國の労働者傭兵のゴルカ兵・ネパール人、支那人が多数送り込まれて雑種地域となった。 中央政府直轄領のようなところだろう。「1597年にシャン族からモゴックの鉱床がビルマ國王の手に渡った」らしい。...
- 2678年10月15日テッパノン温泉 Thephanom Hot Springs บ่อน้ำพุร้อนเทพพนม はタイの最高峰インタノン山の南方にある。チェンマイ県。 日没後に著いて散策後に一浴、翌早朝に一浴した。 暗くなってから、5人ぐらいの少年たちが入っているところに参入した。 肌を擦るとツルツルするなと思ったら、翌朝明るい光のもとで見ると、底に溜まっている藻が舞い上がってそれを肌にこすりつけていたのだろう。 藻の効果がなくてもツルツル系の湯かと思うが、それほどでもないのかもしれない。 温泉の湖。丁度よい温度で長湯できる。熱すぎない貴重な温泉。 近くに住めるなら毎日入りたい湯である。 AISの電波は入りにくいところであ...
- 2678年9月21日トルクメニスタンFarab 國境 からウズベキスタンに入る。 サマルカンドを経てタシケントへ。 タシケントではパキスタン大使館に行って、ビザを申請する。 イランのテヘランでは取れなかった。 日本大使館のレターが必要で、日本大使館がそれを出さなかったから取れなかった。 ザヒダンエリアで日本人旅行者の誘拐事件があったとかで、日本大使館は日本人がそのエリアを通過することを望んでいなかった。 マシュハドのパキスタン領事館にも行ってみたがだめだった。 ザヒダン Zahedan にもパキスタン領事館があって、そこでもトライすべきであった。 後日そこを訪れたら簡単にとれそうだった。それで当初の予定になかったトルクメニスタンとウズベキスタンのビザをとり、イランから...
- 2678年9月20日イシュクル湖→ソンクル湖→トルガート支那國境→イルケシュタン支那國境へ。 クル=湖。 7月半ば、朝は凍える。トルガート支那國境は第三外國人は越境不可だったような。 それでイルケシュタンIrkeshtam 國境へ向かう。
- 2678年9月19日キルギスのイシュクル湖 Issyk Kul の北岸を東へ走る。 Karakol まで。 カラコルには日本の海外青年協力隊がいたかな。イシュクル湖は標高1670m。長さ160km。一周するのに400kmぐらいか。
- 2677年4月24日タイ南部、ソンクラーにある巨大な湖の周囲を走った。 見渡す限りの大湿地帯となっている。 ラムサール条約に登録されていそうな大湿原である。 水鳥もたくさんいる。 水牛が水草を食べたり、泥沼にはべっている。 昨年、チェンマイからクアラルンプール行きの飛行機からこの大湖を見下ろしていた。 今日、その湖畔を走った。 道路脇では魚の干物、スイカ売りが多い。 売っている魚を焼いて食わせてくれる店というのはない。