ナムサン → パンロン Panglong → ライカ Laihka လဲချား へ シャン州=タイヤイ州の街は、ずっと標高700m~1000mの高原地帯にあるので夜は冷える。寒い。 低いところでも500mぐらい。 夜間防寒着、ダウンジャケット、厚めの寝袋、追加毛布など必要。こういう光景はタイでは見ないような気がする。寺の周りがオートキャンプしやすい。 Panglong パゴダはここ: ライカ Laihka 市場はここ:
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- 2679年1月5日ナムラン Namlan に、女ばかりが入れ代わり立ち代わりずっと吟唱している寺の堂があった。 聽いていて気持ちいいので何時間も聽きながらスマホサーフィンしていた。 こういうのはタイにないような気がする 1時間ぐらいずつで交代する。女たちはどこからやってくるのか。 皆暗唱しているようだ。 Majhimārāma Vihāra というらしい。
- ワンリ修道寺 Warn Li Monastery の朝 800K 4人の子供が写っている。 ミャンマーの子供はかわいい。 いたるところに子供がいる。 フィリピンとどちらが多いだろうか。 朝霧。Warn Li Monastery Namlan の市場で 鶏肉と牛肉ご飯 3000K
- 2679年1月4日今日は朝から祭日かという雰囲気だった。結婚式の朝食会単に寺の前で結婚式をやっていたからというだけでなく、次の街に著いたらマーケットはガラガラでほとんど閉まっていた。みかん売り何かと思ったら独立記念日らしい。 1948年1月4日にブリ帝國(ブリティッシュ・エンパイアー)から独立したという。 1943年の8月1日に日本が独立させたことを忘れている。 ミャンマーの本当の独立記念日は8月1日であろう。 日本によるビルマのブリ帝國からの解放がなかったら独立などありえなかっただろう。 日本によるアジア解放とインパール、ヒンド進軍がなかったら、1947年のヒンド独立はなかったであろう。 寺院前の道端物乞い独立記...
- 2679年1月1日昨日の昼食。 お好み焼き。500 黒餅 500 お好み焼きは卵入り。 タチレクの寺の脇にも同じような料理屋があった。 甘め。 これはソーセージ入り。 向かいの店で。寒天のような。
- 2678年12月20日かねてから登ってみたいと思っていた毎日眺めている目の前の山の頂きをやっと極めることができた。 往復5時間半かかった。 今までに、誰に聞いても登ったことはないし、登山道は知らないという返事ばかりだった。 自力で探し当てた。 奥の方に馬がいるお寺か、瞑想寺のようなところがある。 そこから登山道が続いていた。登山道入り口はこの奥: ゴムの白い樹液が流れていた。採液のシーズンらしい。 山頂はこの辺:山の名前は知らない。標高433mから、山頂1180mに至る。 迷いやすいかもしれない。 最初はGPSスマホと予備バッテリーを携帯したほうが良い。 スマホだけでジョギング姿の...
- 2678年11月12日近くの寺、Wat Chee Pong Nam Ron วัดชีป่งน้ำร้อน で祭りがあった。 何故の祭りなのか、よくわからない。前夜祭の風景。 寺の隣接空き地で踊りダンス。日本なら神社の祭りでこんな踊り場ができるだろうか。 盆踊りの時ぐらいではないか。 それも皆が皆同じ動作をする踊り。 各人が好き勝手に踊るような場所は日本の寺院、神社にはないのではなかろうか。บ่กล้าบอกครู (แต่หนูกล้าบอกอ้าย) Bau Glah Bauk Kroo (Tae Noo Glah Bauk Ai) この曲の題名がわかった。 これがオリジナルらしい。...
- めずらしい寺があった。 あたりは静かなのに。 キラキラとずっと音が絶え間ないと思ったら、いたるところに風鈴がかかっていた。 音を撮る。風鈴寺 Wat Mueang Boon Ruang Kiri วัดเมืองมูลบุญเรืองคีรี はメーチャンのパトゥン温泉の近くにある:
- 2678年10月20日メーサイからチェンライにバスで帰る時には右手、西方に見える山並みが綺麗である。 山際の方に近づいてみたいと思っていた。 バイク旅だとそんな寄り道が簡単にできる。一つは今年7月にタイ人のグループが中に閉じ込められて救出されたという洞窟、タム・ルアン洞窟Tham Luang Cave ถ้ำหลวง ขุนน้ำนางนอน 。 タムとはタイ語で洞窟を意味する。 タム・ルアン洞窟の場所: 著いてみると、警察の見張りが何人かいて観光客の車も何台か止まっていた。 そこから皆500mぐらい歩くのだが、バイクだと洞窟入口付近まですり抜けられる。 洞窟の中には入れないようになっていた。雨季はずっと閉鎖されているのか、...
- 2678年10月14日メーホンソンの南70kmのクンユアム Khun Yuam という町に日本軍ゆかりの記念碑があると聞いて、思い出したように南行開始した。 途中の路傍に日本兵士鎮魂之塔があった。2000年11月に倉敷の人が建てたらしい。まわりはとうもろこし畑が広がる。 その辺から、道端に Thai-Japan Friendship Memorial Hall が後5kmとかの案内板が、クンユアムに近づくにつれてしばしば立っていた。 タイ日友好記念館の敷地にて、 クンユアムからチェンマイ方面への道があるのだが、先にもうすこし南 30km にあると...
- 2678年10月10日10月の9日から17日までメーチャン Mae Chanの支那寺で斎菜食タダ飯祭りをやっている。 タダとはいっても出る時に透明の賽銭箱にお金を入れていく人は多い。 20฿入れる人もあれば200฿入れる人もある。 豆ごはん、焼きそば、茸料理等など。甘いデザート、飲み物は氷水の他、コーラなどもある。タイ語で ギン チェー というと、斎食の意味。場所はここ ศาลเจ้าแม่จัน
- 2678年9月2日ボクルア Bo kluea からチェンライへの帰路はナン Nan 経由にする。 ナンはラオスからタイに初めて來た時の最初の街だった。 今回はチェンライから出発するときに、宿のオーナーからナンは洪水だと聞かされて心配していた。 その2日後にナンの街の革に来てみると、既に水は引いていて通行の障害はなかった。 軍隊らしき部隊がなにかしていた程度。 泥が溜まっていた。 プミン寺の前の観光案内所でシャワーした後、温泉はないかと尋ねると一箇所だけ遠い所にあるという。 それは来る途中で見かけた温泉マークのところだった。 来る時もその道を少し探ってみたのだが、その目的地までの距離が書いてなくて不安になり引き返してしまった。 しっかり立ち止まってじっくりと地図で温泉を探してみるべきであった。 よく見ると、Ma...
- 2678年7月13日バンコクからカンチャナブリの先にあるHinDat 温泉に行きたくなった。 タイに戻って最初に行きたい所であった。 カンチャナブリにはミャンマーに行く途中に一度バスで行ったことがある。 今回は鉄道列車にした。 始発駅のThomburi トンブリ駅近くまではローカルバスで行ける。1日に2本しかなく、朝の7時50分と、午後1時55分。 濡れた洗濯物を干しながら、荷物は駅に預けて、駅前の市場を歩き、線路の反対側にある寺 Wat Suwannaram Ratchaworawihan วัดสุวรรณาราม ราชวรวิหาร に行ってみる。 日本では國王は神社に祀られるが、タイでは寺の中で佛陀と一緒に祀られる。日本の神社と寺が合体したようなのがタイの...
- 2678年6月19日カンチャナブリのバスターミナルから真っ直ぐ川の方に歩くと、少し下流にもうひとつのJEATH戦争博物館がある。大きな寺院内の一角という感じのところにある。 これはメクロン川永久橋の近くにあるJEATH戦争博物館と展示物は似ているが、こちらの方がオリジナルで、橋の方がコピーという感じがする。 名前が JEATH War というのは、Japan English America Thailand の頭文字らしい。 Death Railway をもじったものであろう。中の展示物は以下のとおり。
- 2678年6月11日カンチャナブリからバンコク方面に15kmのところに Wat Wang Khanai Hot Spring がある。 カンチャナブリのバスターミナルからバスがある。ワンカナイ寺の広い敷地の中にある。 小さな個別の浴槽がたくさんあって、自分で湯をためて入るシステム。 透明無臭で単純素直な湯。道路脇なので車の走る音がうるさいところ。 近くに安宿もあるようだ。