インレー湖に突入する前に、タウンジの南方50kmの所にある、カク・パゴダ Kakku Pagodas に行く。 ここも小さな尖塔が林立する。 2000本以上あるらしいが、こういう形態の佛教建造物は多数という意味で、千本佛塔、千本パゴダと呼ぶべし。 Mahar Myat Mu Ni のように黄金ペンキで彩られていない。長銃を抱えた軍服人が何人もいて監視している。 夕方と翌早朝に歩いたのだが、風が吹けば鳴るという風鈴の音は一度も聞こえなかった。 周囲は巨木に囲まれていて、風は吹きにくいのではないか。 昼間なら風が強くなるかもしれない。周囲は巨木がよい木陰をつくっているが。 このカックーパゴダをカックー遺跡と日...
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- 2679年2月24日ヒンタン遺跡 Hintang Archaeological Park、立石 Standing Stone への案内板があったので寄ってみる。 土道の往復10kmの寄り道。 石に文字などは刻まれていないようだ。 これは何だと言えば墓だろう。 このような場所がこの辺に何箇所があるらしい。 歩いて行かねばならぬが日差しがきつい時間なので長時間歩く気がしない。朝ならもっと歩いただろう。幹線道路に戻って走ると今度は滝があった。 ヒンタン立石遺跡はここ: Saleuy サレイ滝はここ:
- 2679年2月12日ネパールからインドに戻ってすぐに、佛陀入滅の地、クシナガール Kushinagar にやってきた。 ここではあらためてSIMカードを調達せねばならなかった。 宿を探す。 泊まるところ Changra Lok Guest House にした。 Changra Lok Guest House はここ:涅槃公園の中で宮城の寺の住職をやっている日本老人に会い、その人は近くの日本寺に関与しているといい、呼ばれたので行ってみるとそこにも宿泊施設があった。 ダライ・ラマがブッダガヤに来るという時期に合わせて来ていたらしい。 インドで働いて...
- 2679年2月7日モゴックの人が、朝早く行くと凍っているところがあり、戦跡もあるというので、どこなのかと地図上を探してみたがわからない。 ミャンマー人は地図が読めない。 方向音痴である。こんなところなのだろう。 ဘားနဒ္မိုးကုတ္/217334235814117それで Google Map で Barnard Bazaar ဘားနတ်စျေး と記されているところを目指した。 朝5時に行かないといけないと行っていたが、今回はとにかく場所を見つけることが先決で何時でもいい。 バザールも週に一回とかしか開かれないらしいが、事前に何曜日なのかはわからないままだった。 1月15日火曜日...
- 2678年8月3日標高が高くて涼しかろう街を求めて標高1100mのメーサロン Mae Salongを再訪した。 2016年11月以来2回目である。その時はレンタカーだったが、今回はソンテウで來た。 雨季で雨がちな空模様。チェンライからメーサロンへ行き方 チェンライからバスでメーサイ行きのバスに乗り、メーチャンのソンテウ乗り場で降りる。20฿。 13時半初のメーサロン行きに乗る。 直通じゃなくて途中でタロン行きとメーサロン行きの分岐点でメーサロン行きに乗り換える。...
- 2678年6月19日カンチャナブリの駅前に、広大な戦争墓地 Kanchanaburi War Cemetery がある。 イギリス、イギリス帝國オーストラリア、オランダ、イギリス帝國ヒンド系の戦没者の墓石が整然と並べられている。 門には Kanchanaburi War Cemetery と書いてあるが、中立ではなく、同じ戦争で死んだ日本人の墓はひとつもない。 その隣に見えるのが Death Railway Museum と大書した博物館。 見ただけで英米人の日本攻撃宣伝施設だということは想像がつく。 実際にはイギリス帝國オーストラリア人の設立らしい。 料金所前の売店エリアにある Japan Invade Asia という展示を見ただけで、イギリス史観のプ...
- 2678年3月17日2月末、チェンナイの切支丹教の十字架墓地に入って休憩できるベンチを求めて奥まで歩いたところで、バッテリーに繋いで充電中の Samsung Galaxy S8 を下に落としてしまった。 ケーブルにつながっていて、下も砂っぽいところで、それほど衝撃が強いとは感じなかったが、表面の液晶の端が砕けたように割れてしまった。 右端から左端までの亀裂も2本できた。 カバーはしていなかった。 使用している時はさほど目立たず、機能的には問題なかったのが幸い。 不思議なことに、次の日もその次の日も下に落としてしまう不注意が重なった。 それまではめったに落すようなことはなかったのだが。それまではカバーをしていなくて裏側から落としたことはあったが表側から落ちたことはなかった。 裏側か...
- 2676年1月25日Sagadaには土曜日の16時頃着いた。 週末旅行のフィリピン人観光客で混雑していて宿はどこも満室。10件以上なくて下りStrawberry Cafeの貸部屋が空いていた。350ペソで、ホットシャワーあり、トイレ・バス専用。2泊した後、 Strawberry Cafe のRaspberry room から すぐ前の Canaway Resthouse の3階の部屋に移動した。連泊見込みで350から300ペソにしてもらった。2人なら600ペソだろう。ダブルベッドで窓も2面にあり、風通し良く明るい。 唯一の問題が道路交通騒音。道路に面しているため、しょうがない。なるべく道路から奥に入ったところでないと静寂は期待できない。その点、Strawberry はよかった。が向かいで家の建築音がある。右を向...
- 2675年7月17日カンチャナブリには、9:40についた。ラーメン食って10:30のPhu nam ron 行きバス待ち。70km+α。國境まで。 Wi-Fiあるので書いておく。 滝への途中には、奇岩の陳列販売がたくさんあった。大理石のような。 日本軍が作った橋とか、墓とかあるが、わざわざ行くきしない。バイクの旅なら気軽に回れるが。 橋は、Death railway と地図にある。フィリピンの Death march を思い出す。