カテゴリ: 歴史 ~  11件

  • 2679年4月16日

    GHQ焚書図書開封のメモ

    「GHQ焚書図書開封」の58回目まで来た。 特に重要な部分など、ここにメモしておく。第58回49分目から。 仲小路彰の昭和20年8月18日の「我かく信ず」という文章。
  • 2018年を止めて、2678年にする。 そもそも切支丹(クリスチャン・キリスト教徒)でもないのに切支丹暦を使うのはどうにもおかしなことである。 大東亞戦争時までは使われていた日本の皇紀の方がまだましではないか。 タイでは佛暦が使われている。 今年は2561年。 日本の皇紀・通算暦は2678年。 記事の日付、アーカイブの日付、カレンダーヰジェットの日付などを總て日本暦=日暦で表示するようにしてみた。日本は切支丹によって殆どが蝕まれていたアジアを解放することのできた唯一の非切支丹國である。 日本は世界の非白民族の最後の希望であった。盟主であった。 人種差別を廃することを世界で最初に國際会議で提案し、戦によって実現してしまった國である。 タイ、ベトナム、カンボジア、ラオス、マレーシ...
  • メーホンソンの南70kmのクンユアム  Khun Yuam という町に日本軍ゆかりの記念碑があると聞いて、思い出したように南行開始した。 途中の路傍に日本兵士鎮魂之塔があった。2000年11月に倉敷の人が建てたらしい。まわりはとうもろこし畑が広がる。 その辺から、道端に Thai-Japan Friendship Memorial Hall が後5kmとかの案内板が、クンユアムに近づくにつれてしばしば立っていた。 タイ日友好記念館の敷地にて、 クンユアムからチェンマイ方面への道があるのだが、先にもうすこし南 30km にあると...
  • 2678年8月28日

    パイの橋

    Pai に日本軍が作ったという橋がある。 カンチャナブリのメクロン河永久橋についても書いたので、このPai の橋についても客観的な写真資料を採取しておく。泰緬鉄道メクロン河永久橋とJEATH戦争博物館カンチャナブリの町の北側に鉄道の橋がある。日本軍が建設した時には川の名はメクロン川であり、橋はメクロン河永久橋と呼ばれていた。戦後1957年にフランス人の原作の The Bridge on The River Kwai というフィクション映画が流行り、クエイ川と改称されてしまった。日本軍が建てた慰霊塔町の中心部から川沿いの道を歩いていくと、橋の手前にまずあるのが、慰霊碑。これは大東亜戦争の戦闘状態終結前の1944年2月に日本軍鉄道隊によって建てられたもの。...
  • マッカーサーがトルーマンに解任されて、1951年4月19日に上下院合同会議で演説した。 その後、質疑応答があった。They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.日本は資源の供給が絶たれ、1000万~1200万の失業者が発生することを恐れた。それゆえに、日本の戦争の目的は、ほとんどが安全保障上の必要に迫られたものであった。 ...
  • 大東亞戰爭後、日本人に刷り込まれてきたのがアメリカ史觀。 自國を貶めるやうな發想にとらはれてゐるので、よく自虐史觀などと言はれてゐるが、元敵國側の歴史觀なので敵國史觀と云つたはうがいい。 敵國=アメリカ、イギリス、支那+朝鮮 アメリカ占領軍が表現の自由を犯す檢閲を行つて刷り込んできた「太平洋戰爭」史觀である。 アメリカ史觀と云へば良い。 東京裁判史觀と云ふ奴もゐる。この自虐史觀、アメリカ史觀は究極的には日本國内のアメリカ軍の基地がなくなるまでなくなりにくいだらう。 日本國内に居坐るアメリカ軍が怖くて自由にものが言へない状態と云ふのが現状である。 自虐史觀などといい、アメリカ史觀と正直に言へないのもこのせい。GHQの日本人洗脳が解けた! - シリコンバレーから日...
  • 巷でいわゆるインパール作戦とはなんぞや? 大東亜戦争中の1944年1月の「ウ号作戦」のことをインパール作戦と呼んでるらしい。 ウ号作戦=印度解放作戦=ヒンド独立戦争     私達は日本兵がヒンド解放の為に戦ってくれた事をよく知っていました これがウ号作戦の指令原本 発送番号 大陸指第一七七六号 発送月日 昭和19年1月7日 宛名 大陸指(案) 件名 ウ号作戦ニ関スル件 大陸命第650号ニ基キ左ノ如ク指示ス 南方軍総司令官ハ緬甸防衛ノ為適時当面ノ敵ヲ撃破シテ「インパール」附近東北部印度ノ要域ヲ占領確保スルコトヲ得 - 大陸指第1776号 大陸指(案) ウ号作戦ニ関スル件この作戦指令書によれば「インパール付近東北部印度の要域を占領確保すること」とある。 インパール付近の東北部なの...
  • カンチャナブリの駅前に、広大な戦争墓地 Kanchanaburi War Cemetery がある。 イギリス、イギリス帝國オーストラリア、オランダ、イギリス帝國ヒンド系の戦没者の墓石が整然と並べられている。 門には Kanchanaburi War Cemetery と書いてあるが、中立ではなく、同じ戦争で死んだ日本人の墓はひとつもない。 その隣に見えるのが Death Railway Museum と大書した博物館。 見ただけで英米人の日本攻撃宣伝施設だということは想像がつく。 実際にはイギリス帝國オーストラリア人の設立らしい。 料金所前の売店エリアにある Japan Invade Asia という展示を見ただけで、イギリス史観のプ...
  • カンチャナブリのバスターミナルから真っ直ぐ川の方に歩くと、少し下流にもうひとつのJEATH戦争博物館がある。大きな寺院内の一角という感じのところにある。 これはメクロン川永久橋の近くにあるJEATH戦争博物館と展示物は似ているが、こちらの方がオリジナルで、橋の方がコピーという感じがする。 名前が JEATH War というのは、Japan English America Thailand の頭文字らしい。 Death Railway をもじったものであろう。中の展示物は以下のとおり。 泰緬鉄道メクロン河永久橋とJEATH戦争博物館カンチャナブリの町の北側に鉄道の橋がある。日本軍が建設した時には川の名はメクロン...
  • カンチャナブリの町の北側に鉄道の橋がある。 日本軍が建設した時には川の名はメクロン川であり、橋はメクロン河永久橋と呼ばれていた。 戦後1957年にフランス人の原作の The Bridge on The River Kwai というフィクション映画が流行り、クエイ川と改称されてしまった。日本軍が建てた慰霊塔 町の中心部から川沿いの道を歩いていくと、橋の手前にまずあるのが、慰霊碑。これは大東亜戦争の戦闘状態終結前の1944年2月に日本軍鉄道隊によって建てられたもの。南方各國労務者及び俘虜の霊を慰む。 この慰霊碑のすぐ隣が戦争系博物館。メクロン川永久橋 先に橋を見に行く。 先日列車で渡ったのだが、今度は歩いてみる。 ...
  • ヒンドの街の真ん中には必ずMGロード、MGスクエア、MG(マハトマ・ガンジー)像がある。ロシアの街にはレーニン像、レーニン通りがあり、ベトナムの街にはホーチミン広場、ホーチミン像があるのと同様である。ガンジーは印度独立の父と呼ばれるが、日本の対米英戦争がなかったら、ヒンドの独立は100年以上後に実現できたかどうかもわからないくらい不確かである。ヒンドが現在のアメリカ、ハワイ、中南米諸國のように、原住民のインディアンが狭い居留地に閉じ込められて白欧人の移民が多数派になってしまうような状況に追い込まれたかもしれない。日本軍が英米軍をマレーシア、シンガポール、フィリピンから駆逐し、オランダ軍をインドネシアから追い出すことに成功しなかったら、ヒンド人が自ら独立できるな...

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